2016/03/01

無色の世界

無色透明。
色が無くなっていく。
個性が無くなっていく。
自分というものが無くなっていく。
今の私は、そんな感覚を感じています。

それは、個というものが希薄になって、全体へと融合していく感じでもあります。
というよりも、はじめから個人の意識というものは存在していなかった、、、
すべてが集合意識で動いているだけで、個の意識なんてなかった、、、
私という全体の中で、個の私としてあたかも独立して存在できていると思い込んでいただけだった、、、と、そう気づくのです。

私という存在が、溶けていくのがわかります。
私は、解体されている。
それは、ある意味で、私にとっての死のプロセスをたどってるともいえるのでしょう。
私は、まるで、無色透明な存在に還っていくような感じを感じています。
私は、無味無臭の何も無い存在へと還っていっている。

私は、てっきり、「個性を生きる」ことが大事なのだと思い込んでいました。
自らの個性と資質を活かして生きることが、賢明な生き方なのだと、そう思っていました。
でも、そうではないみたいです。
せめて、私にとっては、そうではないみたいです。
私は、それすらをも超越していくようです。

個性すら必要ない。
何も無い。
何も必要としない。
何も持たない。

私という色がない世界へ。

私の個性が無くなっていく。
私の特性が無くなっていく。
私の色が無くなっていく。
私というものが消えていく。
自我が消滅していくとは、このことか。

無色透明になっていくのがわかります。
風になるとは、このことか。
そう、私は、風になりたかった。
私は、こうなりたかった。
これは、まさに、ずっと私が望んでいたことだった。

自由とは、自由になるとは、何かから自由になるものばかりだと思い込んでいた。
自己を何かから確立していくような、そのようなものだと捉えていました。
でも、そうではなかった。
まるっきり、ちがってた。
明らかな勘違いだった。
それは、私がいなくなることだった。
それは、私が全体に溶けていくことだった。
それは、私がすべてになっていくことだった。
私は、今、そこへ向かっていっているのを知っています。

もう、私が生きる世界は、私でしかありません。
私は、この世界では無力です。
私は、この世界では無色です。
私には、何も無い。個性もない。
私から、色が消えていっています。

もう、この世界で私がすることがありません。
もう、何もする必要がありません。
もし、あるとしたなら、ただ自分に与えていくことだけ。
無限に自分に与え続けていくことだけ。
何も欲しいものがなくなるまで、与え続けていくことだけ。
そして、私は、無限に与え続けていくことができます。
私は、何でも与えることができます。
私は、そのことを知っています。
ゆえに、私は、ただそれをしていくだけです。

この世を超越していくことも、覚醒も、昇天も、与えるのは、この私です。

私は、そのときが来たことを知っています。

私に、その扉は開かれました。
いや、もう開くのがわかります。
その扉は、今、開かれようとしています。
もう、その扉は開きます。
もう、開かれます。

天の岩戸は、間もなく開けり。

今日は、3月1日。
「制限」ということばの終わりの日です。
今日から、もう「制限」ということばの概念に意味すらありません。

限りなき思考の世界へ。
限りなき思考は、限りなき想像。
ただし、想像しても、その想像すらも超越していく世界ならば、もはや想像すらやめて、ただ無へと還るほかありません。


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