2017/01/17

皮肉にも

目を閉じて、

心を静かにして、

自己の内奥へと入るとき、

平安はそこにある。


その平安の中にくつろぐたびに、私は気づかされる。

普段、いかに自分の心は、外側の世界ばかりに向いていることか。

そして、そこにはけっして自分が求める平安などないことも。

光の見つかることのないところで光を探している、、、光を求めている、、、

当てにならない見せかけのものに、いかに心が向いているかということ。

わかっていても習性となっているがゆえ、

それに気づいたならば、ただただ修正していくのみである。


私は内なる平安を求めている。

それは、絶対なる平安である。

それは、神の平安と呼ばれているのもである。

それは、けっして揺るがされることがない。

そして、それはいつもここにある。

心が内側へ向いているときに、それはそこにある。


それに反して、

こうやってブログでことばを発信しているとき、

私の心は外側へと向かっている。

そうでないとことばにすることが出来ない。

そう、これは皮肉な言い方になってしまうが、

私が記事を書いているときは、心が外側を向いているときだと言うことが出来る。


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