2017/02/20

裸の王様

今、自分に正直になってみると、

これまでの自分といえば、心のどこかで、スピリチュアルな教師のつもりで、

そこに自分の存在価値を保とうとしていた自分に気づくのです。


ことばというものは、他の誰かに向けているようで、

本当は自分自身に向けられているのです。

自分自身に向かってもっと教える必要があるから、

他者を仕立てて(投影して)彼らにことばを伝えているようで、

じつは、自分自身に言い聞かせているメッセージにしかすぎないのです。


過去の私はそういうことをしながら、エゴを満たしていたということができます。


さらにいえば、

自分がスピリチュアルリーダーや教師っぽいことを演じることによって、

彼らをその生徒役に仕立てていたとように思います。

本当はこの自分の方が教えられていたのに、

自分が教えている立場のつもりになっていたのかと思うと、

我ながらその無智さに愕然とするとともに、滑稽に思えてしまいます。


自分は何をしていたのだろう?

どこへ向かっていたのだろう?

何の価値もないことに、何をそんなことに夢中になっていたのだろう。


もう、教師ぶるのはやめようと思います。

スピリチュアルリーダーぶるのはやめようと思います。

なんて無意味な、と思います。

彼らを、ひいては、この自分自身を、卑小にみていたということです。

なんと愚かな、と思います。


むしろ、これからはこの私自身は学び手です。生徒です。


私は、なにもわかってなかった。私は、なにも知らない。


そこからみるとき、他者の中にキリストがみえます。

彼らこそが、私の教師です。


今の私は、素直にそう思うのです。


IMG_2129.jpg


コメント

非公開コメント