2017/06/02

純粋非二元のスピリチュアリティとは

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)は、

純粋非二元のスピリチュアリティという呼ばれ方で位置付けられています。

他の一元論的な教えや非二元(ノンデュアリティ)のスピリチュアリティと

区別するために、私もそのような呼び方をしています。


また、コースでは、日々の中での赦しの実践として、

原因のレベル、つまり、心の無意識の闇の部分に取り組んでいくことをしていきます。


さて、ここから本題ですが、


純粋非二元のスピリチュアリティとは?

非二元(ノンデュアリティ)のスピリチュアリティと、何がどうちがうのか?


そんな疑問を感じている方もおられると思います。

さらには、そもそも真理からみるならば、

「この世は幻想である」「すべてみんな大丈夫」「みんなそれでOK」なんだから、

なぜ?わざわざ心の闇の部分を掘り下げる必要があるの?

という疑問をお持ちの方もおられるかと思います。


私自身、ようやくそこのところがハッキリと明確になったので、

私なりのことばで書いてみたいと思います。


まず、「非二元]」と「純粋非二元であるコース(ACIM/奇跡講座)」のちがいで云うならば、

非二元(ノンデュアリティ)やその他の一元論の教えは、

真理に焦点を置いて、真理を探すことに焦点が当てられているように感じます。


一方、コース(奇跡講座/奇跡のコース)は、真理に焦点を置くのでなく、

真理を邪魔しているもの(思考体系)を取り除くことに焦点を置いています。

それによって、自ずと真理が顕現することになるということです。


コースのテキストでは、(真理を「愛」に置き換えて)こう述べられています。


あなたの為すべきことは愛を探し求めることではない。

あなたが自分自身の中に築き上げてきた愛を阻む障壁のすべてを探して、

見つけ出すことである。

真理であるものを探し求める必要はないが、

誤まっているものを探し出すことは確かに必要である。

ー『ACIM(奇跡講座/奇跡のコース)』テキスト16章よりー


そして、非二元(ノンデュアリティ)のスピリチュアリティについて云うと、

真理(非二元)と二元性世界を知覚している者との間に、大きな隔たりがあり、

その隔たりをそのままに、その先に踏み込んでいくことはありません。

いわば、その隔たりは、分離、つまり二元性(半非二元)と云うことが出来ます。


コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)では、そこからさらに踏み込んでいくために、

その隔たりの橋渡しをしてくれる「赦しの実践」という道を示してくれています。


コースが、非二元のさらに踏み込んだ最終段階のスピリチュアリティとして、

純粋非二元のスピリチュアリティ」と呼ばれるのはそういうことです。


以上、私なりに、

非二元(ノンデュアリティ)のスピリチュアリティと、

純粋非二元のスピリチュアリティとのちがいについて書いてみました。


わたしたちは、心の中の無意識の闇の部分すべてを意識化していく必要があるということです。

無意識のエゴの信念を掘り起こし、それらの非実在性をみることが不可欠だからです。

それは、信じてきたすべてのことを無効にする作業(ワーク)でもあります。


二元性の世界を知覚しているならば、そこはゴール(わが家)ではありません。

ゆえに、知覚が終わるときまで、その学習は続きます。

知覚が終わるとき、それは心(無意識)の闇がなくなるときです。

そのとき、投影が終わります、、、二元性世界の終焉です。


そのために実践的にワークをしていくのが、赦しの実践というものです。


もりGの個人セッションでは、そのサポートをしています。

「赦しの実践」を自分のものにしていきたいと思われる方は、ぜひセッションをお勧めします。


あなたの目覚めへの情熱に対して、心から感謝します。


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