2017/06/13

アウェイクニング

「アウェイクニング(目覚め)」ということばについて、

いろんなスピリチュアリズムによってその言葉の定義がちがいます。

なので、その目的を混同しがちです。


以前の私がそうでした。

アウェイクニング(目覚め)、覚醒、悟りなどといった言葉を

それぞれのスピリチュアリズムによってその言葉の定義が異なることも分からないまま

混同して捉えていたことは否定できません。


とくに、コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)を学ぶ場合には、

その教えの思考体系が難解であるがゆえ、

「アウェイクニング(目覚め)」というとき、

その解釈を自分の都合のいいように曲解して学習されていることがあります。


じつのところ、正直に申しますと、かつての私がそうでした。


とはいえ、この私も、そのときそのときで必要なプロセスをたどって来たのだと、

自分自身のことを振り返ってそう想います。


そんな私が今になって想うのは、

巷には、いろいろなスピリチュアルの探究における「目覚め」がありますが、

それはそれでいいのだと思います。

あるいは、たとえコースですらその教えを曲解して学んでいようとも、

それがその人にとってのそのときの学びであり、それもそれでいいのだと思うのです。


そう、今の私からみるならば、

この世界には、いろいろな「アウェイクニング(目覚め)」があってもいいし、

むしろ、そういう判断(ジャッジ)はいらないのだ、という想いです。


かつては、それらを否定したくなる気持ちもありましたが、

つまるところ、そんなことはどうだっていいことなんだと思います。

私の中には、「自分が正しくて、彼らは間違っている」と裁いていたい自分もいました。

でも、その視点こそ、まさに投影であり、エゴの視点以外のなにものでもありません。


すべては自分が見ている夢です。

そして、否定したくなる彼らのその姿は、まさに過去の私の姿でもあるといえます。


そう、そんな彼らを赦していくことで自分自身が赦されるのであり、

その赦しを実践していくことこそがこの道なのだとあらためて気づくのです。


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