2017/07/15

神聖な関係のもとに

ここ最近の私は、

ずっとあるテーマに沿って自分の内側と向き合う作業(ワーク)をしています。

その作業は自分がしているというよりも、それが起きているといった方が正しいです。

というのも、自分に何が起きてるのか?は、はじめは理解できないものであり、

自分の内側と向き合っていくうちに、

次第にある一つのテーマがみえてくる(つながってくる)ものだからです。


そうやって、ここに来てようやく自分でもわかってきたのは、

そのテーマとは、これから出会っていく兄弟との関係性において、

「神聖な関係」へと移行するよう、そのための準備をしているように思えます。


つまり、これまでをいうならば、

私は「特別な関係」で兄弟と関わっていたと言うことができます。


それにちなんで、今、私自身の想いは、

聖霊(ホーリースピリット)との関係性のみが重要になってきおり、

むしろ、それ以外はもう何も要らないと感じているところすらあります。


そんな私は、ますます分離のない知覚へと移行していっている感もあります。


もう、他者がいません。


どこに他者など存在するのでしょう?

自分以外のだれが存在するというのでしょう?


日常の中でそれを実践してきた成果として、

私の知覚は、一なる心だけがあるかのように知覚されつつあります。


それは、ノンデュアリティ(非二元)の実践(心の訓練)をしていくならば、

然るべき知覚だとも言えます。


そのように知覚するようになってきてわかるのが、

これまでの自分は「特別な関係」で、

他者と、この世界と関わっていたことが、よくよく理解できます。


「特別な関係」をコース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)では、
特別な憎悪の関係、特別な愛の関係と二つに分けていますが、
同時にこの二つは全く同じものであると強調します。
そのどちらもが、「特別な関係」であり、エゴの用いる最大の魔術と言うことができます。

それは、以前私が行っていたセッションについてもそうですが、
巷のセラピー全般やスピリチュアリズム全般についても同じことが言えます。
そのすべてが「特別な関係」で成り立っているということです。


「特別な関係」から「神聖な関係」へ。


そこには他者がいません。

そこには世界がありません。

そこには一なる心があるだけです。


この知覚の変容は、

これから私が行うセッションに大きく反映されていくにちがいありません。


もう、あなたと私の間に分離はありえません。

相違も分離もなく、あなたと私は一つです。

一つの心となって、聖霊の導きに従って、

一緒に一なる心の闇(自我)を取り消していく作業(ワーク)をしていくだけです。


神聖な関係の中に奇跡は流れ込んでくる、とコースでは云っています。


神性な関係のもとに行われるセッションは、

形態(見た目)のレベルでは以前とはなんら変わらなくとも、

私にとっては以前とはまったくちがったものになるということです。


それはどのようなものなのか?


どうぞ、この私と一緒に、あなたがその証人になっていただけたらと思います。


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