2017/07/28

真の共感と無垢性 - 後半 Q&A -

前の記事(前半)のつづきです。


兄弟のなかに問題を知覚するとき、それは自分自身の心の中の問題であり、

その問題は実在しないものと見るまで自分の心を癒す必要があると述べられているのは、

じつに奥深いです。

それこそが、真に非二元を生きる者の実践的な在り方だといえます。

カースティンさんのその姿勢は、「神の教師」としての在り方として本当に心打たれます。


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質問者:

奇跡講座の学習が進むにつれて、この世界の人々がどれだけ罪悪感を感じているかが、よくわかるようになりました。

私の中の罪悪感は、だいぶ癒されてきたと思いますが、外側にはたくさんの罪悪感を抱えている人々を見ます。

そんな彼らに、「そんなに弁解したり、謝ったりしなくてもいいのですよ」と言いたくなったりもしますが、実践的にどのように対応したらいいのでしょうか?


Kirsten:

これは、あなた自身の癒しについていえます。

もし、あなたの前に現れた人に罪悪感を知覚し、そのことが引き金となって何か感情を感じたり、その人によって心が乱された場合、それはあなたの心の中の罪悪感を映し出し見せているということです。

その場面でどう応答するかは、祈りしかありません。

祈りのみがその瞬間、愛を求める姿に対して応えることができます。

さまざまな方法が助けになるでしょうが、例えばそれは、何も言わないことかもしれませんし、ときにはユーモアが役立つこともあるでしょう。

愛を求める姿への形式的な答えというものはありません。

それよりも、もしあなたがどんな理由であっても罪悪感を感じるならば、それはあなた自身が愛を求めているということを知っていてください。

そこで、もしあなたが自分自身に対して助けを求めるならば、(奇跡が入り込む)スペースを許可したことになります。

私の場合、しばしば起きることですが、、、弁解ばかりする人へ、私はただ「I love you.」と言います。

どういうわけかそれがすべてを(包含して)通り越していくことになります。

もし、(その人の話の)詳細に入っていって、「あなたに罪はありません」と主張したとしても、それがうまくいくことはありません。

なぜなら、罪悪感は(その人の話の)詳細とはなんの関係もないからです。

そしてあなたが、「あなたは○○だから罪はないのよ」と言うならば、相手は、「いいえ、私には罪があるの。だって、△△だから」と言い返すでしょう。

とにかく、癒しが為されることを認めた上で、喜んで向き合い、感じ、癒すことがすべてです。


質問者:

人々は、本当に自分に罪があると思っています。

私自身は、罪悪感を少しずつ手放し、今は自由で無垢性を感じるようになってきています。

罪悪感を抱えた人々を見るのがとても心苦しく思えて、「そうじゃないのよ。すべて大丈夫なのよ」と伝えたくなります。


Kirsten:

心の中の無垢性に気づいていることは素晴らしいですね。

あなたの心の中のその無垢性は、あなたが何を教えるかに作用します。

ときには無垢性を見失っていき、対称性(二元性)がはっきりと立ち上がって来ることを痛烈に感じることもあります。

しかし、これは一つの段階に過ぎません。

最終的には、あなたの心から十分な無垢性や愛が延長されるところまで癒されていきます。

そのとき誰かが「自分には罪があります」と言ったとしても、愛がそれを洗い流すでしょうし、あなたはそれを実在するものとして見ることもないでしょう。



『True Empathy and Innocence -Holland Clip2- 25 Apr.2017』

https://www.spreaker.com/show/kirsten-buxton_2


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