2017/08/20

分裂した心のままでは

自分の内側をよくよく内観(Inner Inquiry)するならば、自分の心の中に「真理を求める自分」と「真理を怖れている自分」の矛盾する両方の心があることが、はっきりと認識されます。


つまり、それこそが「心の分裂」というものであり、わたしたちがこの分離の世界を、この二元性の世界を生み出す原因となるものだと言えます。


「真理」を「神」という言葉で置き換えてもいいです。


わたしたちは、神を求めていながら、神のもとに帰ろうと試みながらも、同時に神を怖れているがゆえに神に抵抗している、神と戦っている、、、ということが起きているのです。


さらにまた、「真理」「神」という言葉を、平安や幸せという言葉で置き換えてもいいです。


もし、あなたが、自分はなぜ不幸なのだろう?どうして、自分は幸せではないのだろう?なぜ、自分は幸せになれないのだろう?と感じているのならば、つまりは、そういうことだと言うことが出来ます。


そう、わたしたちは、平安や幸福を求めているつもりでいますが、じつは、わたしたちは、本来が平安で幸福であるのに、そのことに自らで抵抗しているということなのです。


その分裂した心のまま、平安や幸せになることはあり得ないのです。


その自覚なしにいくら真理を追い求めても、真理に到達するということはあり得ません。

むしろ、真理へ向かおうとするのを邪魔する自分と悪戦苦闘することになります。


たぶん、かつての真理の探究者たちは、修行の名のもとに、そのことに計り知れないほどの時間と労力を費やしてきたのだといえるでしょう。


でも、もう、そういう時代も終わりです。


これからのわたしたちは、そのことを認識し、自覚することで、はじめて、自分の内側を統合、整理していかねばならないことに意識が向かうようになるでしょう。

それは、修行や探究といったものではなく、ただ自分の内側を整理していくだけのことだということです。


まさか、自分の中に、自分が幸せになることを咎める自分がいるとは、思えないことでしょう。


とくに、スピリチュアルの探究者たちは、自分の中に真理から遠ざかりたい自分や、真理に抵抗している自分がいることを認めたくはないかもしれません。


真理を咎めている自分、神に抵抗している自分、、、それを、自我(エゴ)と呼びます。


その自我と向き合っていくことだけが、真理に到達する道であり、神のもとに帰る道だと言えます。

その道は、けっして、自我を無視したまま真理へと、神へと向かうものではありません。

もし、そうであるならば、それは自我と戦うということであり、その戦いに終わりはありません。


自我と向き合うとは、自我に光を当てることによって、自我を癒し、赦していくということです。

それによって、分裂した心や、あらゆるものとの分離が無くなっていきます。


心は、シンプルに、純粋無垢に、無へと向かっていきます。


そして、そのすべてが無に帰することが、わたしたちがいづれ帰るところです。


私が、歩んでいる道とはそういうものだということができます。

そして、私がしている心理セラピーもそういうものだと言うことができます。


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コメント

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感想をいただきました

この記事に関して感想をいただきましたので、シェアさせて頂きます。

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「自我と向き合うとは、自我に光を当てることによって、自我を癒し、赦していくということです。

それによって、分裂した心や、あらゆるものとの分離が無くなっていきます。」




今日、この文章を目にした時に涙が溢れました。これが癒しなのだと思いました。

この後、どんな音楽を聴いてもハートがたぷたぷになって涙が溢れるのです。




神への抵抗、恐怖。これが自我であることはんかるのですが、この自我を咎めるわたしがいてそれもまた辛い。戦おう、なんとか諌めようとして結果、無気力になるのです。




そうでした、戦うのではなく

赦し、癒していくのですよね。




自我は間違い犯しました、犯したように思い込みました。そして神から目を逸らして置くようにわたしを仕向けました。




でも(こんなこと言ったらいけないのでしょうか)その都度一生懸命にわたしと生きてくれたように思います。




そう。わたしは自我を愛しています。




まるで敵のような捉え方をしてしまった、そのことも辛さのひとつでしょう。




わたしはかつて、規律の厳しいところにいた修道士か原理主義者だったのでしょうか。

すぐに白黒つけたがるような気がします。

とくにこういった学びの段階で。

それが自分を苦しくしてる一因だとも思います。




引き寄せ、〇〇の法則などで

この人生を楽しむところで何故終えられなかったのか、などとも思います。




楽して豊かになる、いいじゃないか。

それを目指したいと思うのですが

それもありでいいのですが

それでは何も終わらないこと、変わらないことを知っている気がします。

気のせいかもしれません。

でもささやかだけれど無視できない声が在るのです。




迷路に迷い込みました(笑)



そっか、わたしは迷路に迷い込んだんだ。

そんな状態なんだ。

だからすっきりせず

自我と戦おうとして辛くなる。

自我を癒してあげたい。

お礼を言ってあげたい。

安心させてあげたい。

共に神のもとへ還たい。




今日のわたしの望みです。