2017/09/21

Mystic by nature 2/3

カースティンさんのインタビューYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」の日本語訳のパート2です。


パート1:Mystic by nature 1/3


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インタビュアー:

よくスピリチュアルな世界で、病気の人に対して、「そうなったのはあなたのせいですよ。」と言うのを耳にします。それを聞いてわたしの心は痛みます。自我はそうやって他の人を非難します。

例えば、心はとても健康だけれども、肉体だけが病気になることはあるのでしょうか?それは可能なことでしょうか?


カースティン:

わたしが好きな話し(parable:寓話)に、ラマナ・マハリシについてのものがあります。

彼が人生の最後に近づいていたとき、-彼が永遠の存在であることをわたしたちは知っていますが- 彼の肉体が崩壊しはじめ、徐々に衰え、逝去間近のときに、彼は癌だったと言った人がいました。

しかし、彼の目を見てみると、、、彼が癌の肉体と同一化していたかというと、、、そうとは思えません。

すべては、何と同一化しているか、そして何が信じられているか、に関係しています。


非難や咎めについて、あなたはすごく良い指摘をされましたね。

「これはわたしのせいだ」と言うのは、癒しにおいてなんの役にも立ちません。

しかし、癒しにとっての心の方向としては正しいと言えます。

もし、あなたが癌を信じている、または、癌を患っていると信じているならば、そこには赦しを実践する何かがあります。

癌とは何か?

実質的にそれはどういう意味なのか?

インナーインクワイアリー(内観)によって、

誰が癌を信じているのか?

癌を患うためにはどう在る必要があるのか?

と深いところまで(自分の内側を)見ていきます。

そして、何と同一化しているかというところへ行き着いたならば、そこで選択をすることができます。

わたしは誰であるか?

いまこの瞬間、「わたし」と呼んでいるのは誰か?

わたしは肉体?

わたしはスピリット?

現われるどんな症状であっても、それらはただ癒しを求める心の声の反映なので、癒しが続いていくよう求めるのです。

そして、そのように求めることが設定(症状の原因となるもの)を外すことになります。

なぜなら、わたしたちみんな、すでにたくさんの奇跡的な癒しや自然治癒的な癒しについて耳にしてきているのですから。


しかし、もしあなたの心が知覚や信念でがんじがらめになっているならば、それは奇跡を受け入れる姿勢とは言えません。

奇跡を受け入れる姿勢とは、「わたしはどう癒されるのかわかりませんが、完全なるシフトとそれが形となって反映されることに心をオープンにしています」というものです。


パート3につづく


ーYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」より抜粋翻訳ー


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