2017/09/26

愛への抵抗の終焉

わたしたちは、だれもが幸せになりたいと思って生きています。

だれもが、幸せになるために、そのために日々生きていると言っても過言ではありません。


ただ、わたしたちは、本当のところ「幸せ」が何なのかわかっていません。


わたしたちは「幸せ」というものが何なのかわかっていないから、

この世界にいる(この世界を知覚している)ということが言えます。


わたしたちは幸せが何なのかわからないどころか、

幸せになることを避けて(拒否して)いると言うことが出来ます。

そして、この(二元性/時間と空間の)世界こそがそれを達成している世界といえます。


わたしたちは、そんなこの世界を自らが選択しているということです。

あなたが自分の深層心理へと深く掘り下げて(インナーインクワイアリーして)いくならば、

そのことが明白になります。


そう、コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の道を歩む上では、

わたしたちの心の中には、幸せになりたくない自分(自我)や、

幸せになることを邪魔している自分(自我)がいる、ということを知っておく必要があります。


というのも、そのことを自覚して認めていくことから、赦しがはじまるからです。


以前の記事(『分裂した心のままでは 』)でも述べましたように、

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)を学ぼうとするならば、

そこには必ず「真理(神)を求めている自分(聖霊)」と

「真理を求めることに抵抗する自分(自我)」とが

相反するかたちで両方の自分が心の中に存在するということをわきまえておかねばなりません。


そのことを無視して、ただ真理(神)を求めてもそれは無謀なことでしかありません。

そもそもコースとは、そのこと(自分の心が分裂していること)を踏まえた上で

ジーザス(イエス)がどのようにそこから心の訓練を成していけばいいのか?

その道を示したものだということが出来ます。


ようするに、コースを学習する者にとって、

そのことを知った上で学びを進めていった方がよりスムーズだということです。

私自身も、コースを学び、赦しを実践し、心の訓練をしていてそう思いますし、

ケン・ワプニック博士も自らの著書でそう述べています。


あなたは、自分のことを「すべてのひとを愛している聖なる神の子」という前提ではじめるよりかは、「こころのないサディスティックなビースト(悪玉)である」という前提からはじめるほうが、よっぽどか、順調にすすめるでしょう。あなたは、この身体のなかにいるかぎり、自分は殺人者なのだ、という前提ではじめたほうが、ずっと順調にいくでしょう。あなたは正しいと思いたいし、あなたは存在していたいし、身体でいたいのですから、あなたはいま殺人者であるだけでなく、これまでもそうだったし、これからもそうなのだろう、ということです。

ー『Ending Our Resistance to Love』  Dr. Kenneth Wapnick よりー


ここで「殺人者」という言葉で書かれてありますが、

それは、けっして言い過ぎた言葉ではないと思います。


わたしたちは幸せというものを拒否しているどころか、

自らを殺そうとさえしているということです。

ゆえに、わたしたちは死ぬ(という体験をする)のです。


とはいえ、本当は、死はありません。

死ぬことが可能である、と信じ込んでいるにしかすぎません。

そのように信じ込んでいる想念から作られ、そして体験している世界が、この世界です。


この世界を現実だと思っているのは自分です。

この世界をあえて選択しているのも自分です。

その自分の心は、狂気です。

その自分の心は、病んでいます。


その自分を、自我、と呼びます。


そんな自分だからこそ、

正しく判断する存在として与えられた聖霊にすべての判断をゆだねていくことが、

わたしたちがしていくことであり、このコースの道だと言うことが出来ると思います。


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