2017/10/25

投影と赦し 1/3

フランシスさんのショー『To Say It or To Mean It 』からの抜粋翻訳です。


フランシスさんは、ここで赦しのプロセスについて語っていますが、

それは彼女自身の体験から語られています。


すでにその道を歩んでいる先達の言葉に触れることは、

赦しを実践しているわたしたちにとって、その学びを飛躍的に前に進めてくれますし、

方向性をしっかりと示してくれるものとしてとても有難いです。


今回の<投影と赦し 1/3>では、

わたしたちが赦しを実践していく上で、理解しておくべき「投影」について語られています。


興味のある方は、どうぞご覧ください。


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<投影と赦し 1/3>


「赦しにおいてすべきことは何ですか?」という質問に対して、フランシスさんは以下のように話しています。


フランシスさん:

わたしの経験から話しますと、初めは「個人的な考えは持たない」「人を喜ばせようとしない」という、この二つの実践からスタートしました。

これらは、赦しという目的のためのものです。

実践を始めた頃は、本当にたくさんの感情や動揺が湧いてきていましたし、それらは頻繁に起こっていました。

その多くは、わたしが自分の気持ちや考えなどを表現できないと感じていた状況に関係しているように思います。

たとえば、ちょっとしたジョーク交じりの状況の際、そこまで明らかではないけれど根っこにある種の皮肉を感じることがありました。でもその場ですぐに取り上げて言うのも、人との付き合いにおいてふさわしくないと感じ、表現するのを止めていました。

そういう小さなことがたくさんありました。

もしわたしがその場で言うなら、「赦そうとしていない」とか「こんな小さなことでイライラして」とかと言われるかもしれない、などいろんな理由で、声に出して言うことを止めていたのです。


ですから初めのうちは、どのように表現することを自分自身に許すか、という学びの実践期間を経ることになりました。

そのプロセスは、他の人々へ声に出して表現することについてというよりも、実際には、自分自身に許可する作業であり、(内側を)探索して心の根底にあるものを掘り起こす作業でした。

それは決して、心の表面的なところの覆いのような想念についてではありません。

しかし、まずはその表面から始めなければならず、自分自身に許可を与えなければなりません。

時に想念は、あまりよくないものであったり、時にひどく不快なものであったりもします。

しかし、それらの想念の根底にあるものは、わたちたちがこれまで触れたことがないものです。

根底にあるものとは、常にとても美しく無防備で真正です。

ただそれは、幾重もの層の、不快な攻撃の想念によって覆い被されています。

初めのうちは、それらの不快な想念を声に出して言うことができるようにする許可を自分自身に与えるのに、ある種の勇気がいるように思えます。

ただ、そうすることで、わたしたちは深いレベルまで入ることができるようになるし、自我がその根底にある感情を抑え込んで、表面的な想念を使って行動する過程に反して進むことができるようになります。


もし、目指すものが本当に赦しだとしたら ー質問者の方は赦しを目指すものとしていますがー それは素晴らしいことです。

というのも、わたしたちは「エクスプレッション・セッション(表現のセッション)」という形式のものを何回も行っていますが、わたしは、人々が、このセッションを行う本来の目的を忘れてしまう誘惑に駆られることに気づきます。

それは、自分が感じていることを事実の通りに言う(自我が思ったことをそのままぶちまける)とか、誰かを責めるとか、起きていることについて誰かに罪悪感を感じさせる、と安易に考えてしまいますが、それでは、心の中の赦しという目標に役立ちはしません。

もし、目指すものが赦しであるならば、まずはそれをあらかじめ踏まえた上で、状況がどうであろうともそれをそのままにさせておくのです。


ここで、わたしたちが動揺する理由について深く見ていきましょう。

様々な状況においてわたしたちが動揺するのは、その状況や人々が、自分が欠乏しているものを提供してくれないという理由からです。

わたしたちが望む経験や、わたしたちが愛されていると感じることができる経験を与えてくれないから、ということです。

わたしたちは初めに、欠乏を感じます。それから、わたしたちは、他の人々が何か特定のことをしてくれることや、状況が特定の結果となることを求めます。

そして、もしそのようにならなかったら、わたしたちは動揺するのです。

もしくはそれとは対照的に、自分の行動によって、他人が傷つけられるのを知覚しそのことで罪悪感を感じるということもあります。

しかし、もしわたしたちが投影の原因を理解するならば、人々や状況に投影するその理由はいつでも、投影することでわたしたちはわずかながらも気分が良くなるからなのです。

投影することでわたしたちの罪悪感がわずかながらも減少するからなのです。

これが、自我が投影を好む理由です。

浮上する感情を直視できず、その感情があまりにも強烈なためどこかほかのところへ投げ捨て、一時的にほっとする、ということを、わたしたちはまさしく日常的にやっているのです。

わたしたちは、欠乏しているものを外側の状況に投影したり、自分の行いが人々の(動揺の)原因になるなど、どちらにしてもいつも欠乏を外側にみるのです。


パート2につづく


ーYouTube『To Say It or To Mean It 』よりー


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コメント

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Re: No title

ちえ子さん

いつもご愛読ありがとうございます。
この道を先に歩んでいる方の言葉は、学びにおいても実践においてとても参考になります。
これからもお役立ていただけたらと思います。

もりG

No title

いつも翻訳をありがとうございます。
今回のものも、今の私に必要なものでした。