2017/11/17

夢見る者

わたしたちは通常、この「世界」についてどのように捉えているかというと、

「この世界は、この自分がこの世に生まれてくる前から存在していた」

そして、

「この自分が死んでこの世を去っても、この世界はその後も存在し続ける」

と、それを当たり前のことのように想っているといえます。


というのも、たとえば他の誰かが死んだとして、

それでもこの世界は相も変わらず続いているのを当たり前のように見ているわけですから、

当然、「この自分が死んだその後も世界は在り続けるだろう」という考えになるわけです。


そこで言えるのが、そういう考え方こそが自我のトリックだということです。


たしかに、そのようにこの世界はみえますが、そうではないということです。


もし、この自分が死んだとしたなら、

この自分(の身体)と共にこの世界も消え去ってしまうはずです。


それは、夜見ている夢から覚めるのと同じように、

それまで存在していた人や事や世界が消えてなくなるように、

それまで見ていた夢が終わるようなものだと捉えていいと思います。


この世界も、夜見る夢と同じようなものだと、

コース(ACIM/奇跡講座)の中でもイエスは云っています。


この世界は、この自分が見ている夢にしかすぎないのだということです。


この世界は、自分がこの世に生まれてくるときに同時に自分が作り出した夢であるゆえ、

もちろん、この自分が終わったならこの世界も終わるということです。


この身体が生じたときに、一緒にこの世界も生じたし、

家族も友人も知人もこの世界の人々もすべてのものも、そのときに一緒に作り出したのです。


ゆえに、自分がこの世を去るときには、

この世界も含めてそれらすべても消え去るということです。


そう、もともと何も無かった「無」に帰するだけと。


自分が知覚しているこの夢の中では、

すべての人たちが自分の見ている夢の中の登場人物であり、

すべての状況が自分の見ている夢の中の出来事だということです。


コース(ACIM/奇跡講座)では、

そのことを「Dreamer of the Dream(夢見る者)」という言葉で表現しています。


このような考え方は、まるで狂気のようにも思えますが、

たしかにこの「世界」と呼んでいるものは、自分が主観的に見ている世界であり、

それは、自分だけのオリジナル世界であり、

つまり、自分だけのドラマをこの世界で体験しているだけで、

それをわたしたちは「人生」と呼んでいるということです。


人生とは、かたち(形態)がちがうだけで、

人や状況や出来事を変えて同じパターンのドラマの体験を繰り返しているだけということです。



「世界それ自体が無である。」

世界は存在しない!これがコースが教えようとしている中心概念である。」

ー『奇跡講座』ワークブック レッスン132 よりー



「自分は、この世界に生まれてきて、つかの間の人生を生きて、

そして死んで去っていく存在である」

という自己概念の考えをどうぞ疑ってみてください。


自分の見ているこの「世界」を疑いつつ、

『奇跡講座』ワークブックのレッスン132をどうぞ読んでみてください。


「世界」についての考えが変わるとき、この「自分」という概念も大きく変わるはずです。



Lesson 132
I loose the world from all I thought it was.
これまで自分がこの世界はこうだと思い込んでいたすべてから、私はこの世界を解き放つ。


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コメント

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No title

ありがとうございました。少し遠いですが、福岡の勉強会がまたありましたら、参加させていただきたいと思います。

Re: No title

混乱するということは、自分なりの観念(世界観)を抱えているということであり、その観念が崩壊しかけているのだと言えます。むしろ、その観念を手放す(放棄する)チャンスだと捉えていいと思います。

No title

ご返答ありがとうございました。ときどき分からなくなることがあり混乱してしまいます。もりGさんのセッションを受けてみたいという思いは最近強くあります。ありがとうございました。

Re: 質問させてください

ユウキさん

コースの中でも書かれてありますように、すべては言葉での表現になってしまいますので、どうしても言葉は、シンボル(比喩)的な表現になってしまうことをまずはわきまえておいていただきたいと思います。

そのうえで私なりにご質問に答えさせていただきます。

あなたにとって、私(もりG)はあなたの一部です。
コースで目覚めようとしているもりGさんは、あなた自身のある一面の象徴(シンボル)だと思っていいです。
あなたが目覚めるならば、ひとり子としての神の子(キリスト)としてみえるはずです。
そこには、いわゆるもりGという個人はいません。
目覚めていなければ、あなたが死んだとして、その先の世界でもこの(現象)世界の続きをまた違った形態で作り出すだけです。
そういう意味で云えば、ユウキさんのおっしゃるように、他者が存在するわけでもなく、あなただけしか存在しないと捉えられていいです。
または、すべてがあなた自身と捉えていいと思います。

ただ、以上のような表現は、理屈(頭)でというよりも体験的・体感的にわかってくるものです。
ですので、私からは、赦しの実践を通して体感されていかれるのをお薦めします。
もしくは、もりGとのセッションを通して体感していただけたらと思います。
体感、体験なくしてコースの学びはあり得ません。
でも、体感、体験されるならば、あなたのコースの学びはさらに深まっていくことになるでしょう。

質問させてください

コースを勉強し始めて3年になりますが、今日のブログを読んでよくわからなくなりました。私が死んだら、コースで目覚めようとしているもりGさんもいなくなるということでしょうか?私しか存在しないということでしょうか?