2018/04/12

幸せになることへの抵抗

これからこの先、
つまり、これからこの時間と空間の世界の中で、
限りなく無限にハッピーになっていくんだろうな、という予感がしています。

もちろん、それは、心のレベルにおいてのことであって、
かたちのレベルでのことを言っているのではありません。

そう、この平安と幸福の感覚は、この世界に反映されて知覚されていくのだろうなと。

神はわたしたちをいつも祝福しておられるのですし、
神の意志に従うということは、
この時間と空間の世界の中にいるあいだは、
神の性質をこの身を通して体験していくのだろうなという想いがするのです。

そう、その体験を重ねていくことによって、
神への信頼がより確信へとなっていくのだと思います。

ただ、そんな私も自分の心の一部に、
幸せになっていくことへの抵抗が自分のなかにあるなぁって気づきます。

想像を超えていく体験をやはり自分は恐れているということです。
たとえそれがハッピーなことであっても、です。
無限に幸せになっていくことが、自分は、恐いのだなと。

自我は愛を恐れている、と言われていますが、まさにそういうことなのだと思います。

自我は自分の想定内のハッピーでいたいのだと。
制限なくハッピーになることを、自我は望んではいないということです。

そう、自我とは、もともとそういうものだと認めることが大事なのだと思います。
自我に恐れは付きものであり、自我は絶対に真にハッピーになることはないということです。
自我は、この世界でほど良く幸せであればいいと思っているのです。
それによって、この世界の幻想の中に自らを留めておきたいのです。
(ただ、その「ほど良く幸せであればいい」というものこそが、叶えられぬ幻想なのです。)

それは、どうにかして恐れを克服しようとするものではないということを意味します。

自我は、どう変わっていっても自我です。
それはニセモノの自分なのであり、そしてそのニセモノの自分はこの世界を信じたいのです。
つまり、この世界を信じているかぎり、
その恐れは小さくすることは出来ても、絶対になくならないのだということ。

自我とは、そしてこの世界とは、そういうものだとあらためて自覚する今日この頃です。

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