2018/04/05

自分自身を赦す

意識を高めるとか、波動を上げるとか、魂を浄化するとか、
もうそういうことをする必要がないのだと気づきます。

そういうことは無意味だと気づくのです。

自分は変わる必要がないということ。

成長する必要もなければ、
いい人になる必要もなければ、
高潔な人になる必要もなければ、
聖人みたいになる必要もなければ、
どんな自分だとしてもそれでいいのだと。
もっといえば、そういうことはどうだっていいことなのだと。

自我の部分をみつけたとしても、
それをどうのこうの変える必要などなかったのだと気づきます。
自我は自我のままでいいのだと。
自我とは、偽りの自分でしかないのだから。
もっといえば、そもそも、実在しない、のだから。

そんな自我をジャッジする必要もなければ、
咎める必要もないと。
自我がより良い自我へとなっていったところで何の意味があるというのだろう?
むしろ、わたしたちは自分に対してそういうことをしてきたのだと気づきます。

自我の自分を変えようとする必要はなく、
その自分をジャッジすることなくただ傍観していればいいのだと。

赦しとは、実在しないものをただ、無、とすることだけなのだとあらためて気づくのです。

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