2018/05/29

聖霊という内なる教師

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の学びが深まっていくにつれて、
あらためて「聖霊」の重要性と不可欠性に気づかされます。

コースは、他のノンデュアリティ(非二元)のスピリチュアリティと比べて何がちがうのか?
というならば、「聖霊」の概念が用いられているところだといえます。

「聖霊」とは、内なる教師のことです。

最終的にその内なる教師を自らの拠り所としていくことが、
わたしたちがこのコースを学ぶ目的だということが出来ます。

その内なる教師以外を信頼していくところに真の救いはないとさえいえます。
自分以外の誰かを教師とすることは、偶像崇拝となんら変わりありません。
そこに真の救いなどあるわけもなく、
それがいくら真理だのノンデュアリティ(非二元)だのと呼ばれたところで、
所詮、二元性(自我の範疇)でしかないということは明白です。

そう、コースは、真理について追求していくものではなく、
実際にその体験へと聖霊に導いてもらうための実践的な道だと言うことが出来ると思います。

聖霊(の概念)が重要不可欠なことについて、もう一つ言えるのは、
真理を求める者としては、自分が真理に到達するものだと思いがちで、
つい、自分で真理に到達しようとしますし、
到達するためのにはそういった努力や忍耐が必要だと思ってしまいがちなところです。

いわゆる、その自分こそが「自我(エゴ)」なのであり、
その自分(自我)を聖霊に明け渡していくことがわたしたちがしていくことでだといえます。

「聖霊」とは、
すべてが何も起きていない、何もしていない、
すべてが無である(実在しない)とわかっている大いなる自己だと言うことが出来ます。
また、神への帰り道を知っている自己を超えたマインド(心)とも言うことができます。

わたしたちは、どうしたら目覚められるのか?を知らないのです。
その道を知っている聖霊に従っていくほかに道はないのです。

正直なところ、聖霊について本当に理解するまでは、
聖霊は自分が目覚めていく上で補助的な役割ぐらいの程度にしか思っていませんでした。
今は、そうではなかったと理解します。
むしろ、聖霊なしで目覚めることはあり得ないということです。

そう、コースは、その聖霊とダイレクトにつながることを目的としています。

ときに、コースの形而上学を理解することに、そして教えることに
その目的がすり替えられることがあります。

そのような学びの段階もあるのでしょうが、
私にとってこの道の歩みは、内なる教師である聖霊と
もっとダイレクトにコンタクトしていく段階に入ったと実感する今日この頃です。
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大濠公園(福岡市)

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