辻褄が合わない
コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)を学んでいくと、
その他のスピリチュアリティには興味がなくなっていくのがわかります。
なぜなら、コース以外のスピリチュアリティには妥協があるのがわかるからです。
妥協、とは、例外があるということ。
コースの道だけが唯一優れているとはけっして言いませんが、
コースは、例外を作りませんので、妥協がありません。
そういう意味で、コースのスピリチュアリティからみるとき、
二元性のスピリチュアリズムにも、ノンデュアリティのスピリチュアリズムにも、
まるで辻褄が合っていないのがみえます。
それは、妥協しているからこそ、辻褄が合っていないのです。
興味が向かなくなっていくのも、そういう理由からかもしれません。
辻褄が合わないスピリチュアリティに何の価値があるというのでしょう。
そんなことを想う今日この頃です。
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