2017/08/26

心の中の闇に光を当てる

わたしたちが、目覚めていくそのプロセスにおいて、自分の内側と向き合うことなしに、神のもとに帰るということはあり得ないと言えます。


自分の内側に闇の部分を抱えたまま、目覚めたいとか、輪廻転生を終わりたいとか、神のもとに帰りたいとか、そういうものをいくら求めてもそれは成し得ないと言うことです。


言い換えれば、わたしたちがこの世界を知覚しているということは、まだまだたくさんの闇を無意識に抱えていると言うことも出来ます。


そう、自分の心の中に闇の部分を隠し持ったまま幸せになろうとすることは、あり得ない(絶対に成し得ない)無謀なことをしているということです。


そういう意味で、自分の内側と向き合っていくこと、そして、自分の心の中の闇の部分を見つけて修正(解放)していくことが、どれだけ重要なことかが分かるはずです。


だとしても、自我は、そういうことなしでも目覚めていくことがあり得ると信じています。

自我は、神聖なるもの、清らかなもの、光、真理、、、そういったものを求めていけばそこに到達できると思っています。


スピリチュアル探究者の中で、そういったものばかりを求めることは、よくあることです。


でも、それでは二元性を超越することはなく、この世界の中でいつまでもスピリチュアルの旅を続けることになるということです。


非二元の真理を理解している者ですら、自分の内側と向き合うことをせずに、一時的なこの世の幸せにかまけている場合もよく見受けられます。

たとえば、他者に向けて真理について語ることに、ノンデュアリティについて教えることに夢中になっている教師たちもいます。


自我は、わたしたちを内側へ向かわせることから遠ざけたいのです。


それとはまた対照的に、内側に向かってはいるものの、どのように自分の内側と向き合っていけばいいのか?がわからないまま、瞑想ばかりに励んでいる探究者もいます。

悟るにはただひたすら瞑想をし続けるしかないという具合に、です。


そういう方々に、私からお薦めしたいのが、「心理セラピー」というものです。

もっと自分の心の中を癒していくことの重要性を自覚していただきたいと思うのです。

とくに、目覚めたい、とか、幸せになりたい、というのなら、なおさらです。

まずは、自分の心の中を癒して(浄化して)いきましょう、ということです。


もっと言えば、わたしたちは、自分を癒す(ヒーリングする)ために、この世界にいるし、そのためにこの世界はある、と言ってもいいくらいだと言えます。


この時代では、心理学やスピリチュアリズムが進化してきたこともあって、心のしくみがかなり解明されて来ていて、なおさら、わたしたちの意識の進化に伴って、癒し(ヒーリング)に長けた優れたさまざまなセラピー(手法/スキル)があることを知っていただきたいと思います。


自分の心の中に闇の部分を隠し持ったままでは、けっして、幸せにはなれない、神のもとには帰れないことを知ってください。

それは、普通に考えても当然のことです。


この世界にいるかぎり、わたしたちは、だれもが無意識の心の中に癒されるべき闇を抱えているということを知ってください。


自分の内側へと向き合っていく時です。

それは、心の闇が癒されていく時でもあります。

これまで向かっていた意識の方向を反転させる時だということです。

それは、だれにとっても、いずれはたどっていく道です。


自分の心の中に闇の部分があることを認めてください。

自分はもっと癒し(赦し)が必要だということを知ってください。

自分の「幸せ」とは、こんなものじゃない、と気づいてください。

その道はすでにあなたのために用意されていることを、どうぞ喜んでください。

そして、どうぞ、受け取ってください。


すべての闇に光をもたらしていく、その決断は、すべてあなた自身にゆだねられています。


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2017/08/20

分裂した心のままでは

自分の内側をよくよく内観(Inner Inquiry)するならば、自分の心の中に「真理を求める自分」と「真理を怖れている自分」の矛盾する両方の心があることが、はっきりと認識されます。


つまり、それこそが「心の分裂」というものであり、わたしたちがこの分離の世界を、この二元性の世界を生み出す原因となるものだと言えます。


「真理」を「神」という言葉で置き換えてもいいです。


わたしたちは、神を求めていながら、神のもとに帰ろうと試みながらも、同時に神を怖れているがゆえに神に抵抗している、神と戦っている、、、ということが起きているのです。


さらにまた、「真理」「神」という言葉を、平安や幸せという言葉で置き換えてもいいです。


もし、あなたが、自分はなぜ不幸なのだろう?どうして、自分は幸せではないのだろう?なぜ、自分は幸せになれないのだろう?と感じているのならば、つまりは、そういうことだと言うことが出来ます。


そう、わたしたちは、平安や幸福を求めているつもりでいますが、じつは、わたしたちは、本来が平安で幸福であるのに、そのことに自らで抵抗しているということなのです。


その分裂した心のまま、平安や幸せになることはあり得ないのです。


その自覚なしにいくら真理を追い求めても、真理に到達するということはあり得ません。

むしろ、真理へ向かおうとするのを邪魔する自分と悪戦苦闘することになります。


たぶん、かつての真理の探究者たちは、修行の名のもとに、そのことに計り知れないほどの時間と労力を費やしてきたのだといえるでしょう。


でも、もう、そういう時代も終わりです。


これからのわたしたちは、そのことを認識し、自覚することで、はじめて、自分の内側を統合、整理していかねばならないことに意識が向かうようになるでしょう。

それは、修行や探究といったものではなく、ただ自分の内側を整理していくだけのことだということです。


まさか、自分の中に、自分が幸せになることを咎める自分がいるとは、思えないことでしょう。


とくに、スピリチュアルの探究者たちは、自分の中に真理から遠ざかりたい自分や、真理に抵抗している自分がいることを認めたくはないかもしれません。


真理を咎めている自分、神に抵抗している自分、、、それを、自我(エゴ)と呼びます。


その自我と向き合っていくことだけが、真理に到達する道であり、神のもとに帰る道だと言えます。

その道は、けっして、自我を無視したまま真理へと、神へと向かうものではありません。

もし、そうであるならば、それは自我と戦うということであり、その戦いに終わりはありません。


自我と向き合うとは、自我に光を当てることによって、自我を癒し、赦していくということです。

それによって、分裂した心や、あらゆるものとの分離が無くなっていきます。


心は、シンプルに、純粋無垢に、無へと向かっていきます。


そして、そのすべてが無に帰することが、わたしたちがいづれ帰るところです。


私が、歩んでいる道とはそういうものだということができます。

そして、私がしている心理セラピーもそういうものだと言うことができます。


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2017/08/02

平安へ到達するためのツール

セッションでは、その人が今現在抱えている問題をテーマに、

それをきっかけにして、その人の心の中を調べていくことをしていきます。


なぜなら、その問題の原因となるものといいましょうか、その解決法(答え)は、

その人の心の中にあるからです。


ちなみに、「その人の心の中」と言いましても、

この私も、その人と一緒に心の中を掘り下げていく作業(ワーク)をしていくので、

自分の心の中を内観(内的探索)しているような感覚になります。

そこには、その人の心も、私の心も、区別がなくなってしまうのです。


そのワークのプロセスにおいて、

癒し、赦し、気づき、解放(知覚の訂正)といったものが起こるべくして起きていきます。


かつて(ジーニーと呼ばれていた頃)は、そのプロセスを「自分の整理」と呼んでいました。

自分の内側がどんどん整理されていくにつれて、

真我が開かれていって、神の平安たるものが自分の心を占めていくようになるのです。


そのようなセラピーを施していくことを通して、

私は、深層心理たるもののメカニズムを深く理解していきました。

そして、その理解をベースに独自の心理セラピーは構築されていきました。

私は、自分なりに「(自我の)心のメカニズム」を感覚的に理解していました。

ただ、その理解はあくまでも「感覚的なもの」であって、誰に説明する必要もなく、

自分の中だけでの理解に収まったままでいたのでした。


ちなみに言いますと、その「自分の整理」という心理セラピーは、

自分自身で自己の心の中を内観(内的探索)していきたい方にとっては、

とても有益なものではあったものの、

自分自身以外の他の誰かによって癒してもらうことを求めている方や、

自分以外の誰かに解決(答え)を教えてもらうことを望んでいる方々にとっては、

そのセラピーはあまり価値を見い出されることはありませんでした。

(今では、自分の心の中へと向かう方向こそ、

 つまり、内観(内的探索)していくことこそが真の赦しに至る唯一の道だと言い切れます)


そう、私は、「自我のメカニズム」を感覚的には理解しつつも、

はっきりと概念的な理解として確信したのが、

デイヴィッド・ホフマイスター(著)の『覚醒へのレッスン』を読んだときでした。

そして、

それが今現在のサイコセラピー・セッションに繋がっていくきっかけになったといえます。


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その本の後半部分の「心の5つのレベル」のセクションの箇所(p.511~p.536)は、

じつに興味深く、しかも実用的な内容です。


そこには、「願望(欲求)→信念→思考(想念)→感情→知覚」という図式で、

(自我の)願望が知覚に至るプロセスが示されています。


それは、デイヴィッド・ホフマイスターが、ジーザス(イエス)から

インスピレーションによって与えられたものだと言います。


いくつもの心理セラピー・セッションを通して、

私が自分なりに「心のメカニズム」として捉えてきた考え方と、

そこに書かれてあることがまさにぴったりとハマったのです。


その図は、まさに、平安に到達するためのツールだと言えます。


通常のわたしたちの認識では、

この世界というものが存在していて、

そしてこの世界のなかの森羅万象を五感で知覚して、

それによって感情や想い(思考、想念)が動くのだと、、、

そう考えています。


しかし、真理からすれば、その認識はまったくのあべこべで、

わたしたちは、知覚したいものを知覚しているのであって、

そのために感情や想い(思考、想念)を生起させることで、

本当は実在しないこの世界があたかも存在しているかのようにでっち上げているだけ、、、

と言うことが出来ます。


自分の心が分離を信じていることを自分自身で気付くことがないように、

その真実を隠そうとしてしているのが、この世界なのです。

知覚の世界は、わたしたちから真理を隠すためにエゴによって作られたということです。


もし『覚醒へのレッスン』をお持ちならば、

その本の後半部分の「心の5つのレベル」のセクションの箇所(p.511~p.536)に、

ぜひもう一度目を通されることを私からお薦めします。

その「心の5つレベル」のセクションの箇所を本当に理解するならば、

コースの本編テキストの理解もかなり進むことになるでしょう。

そして何よりも、あなたの癒し(赦し)は、もっとスムーズなものになっていくでしょう。



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2017/07/24

癒しの旅

自分自身には、癒されていない部分がまだまだたくさんあると感じています。

それこそ、この宇宙に散りばめられた星の数ほどの「癒し」が必要だと感じています。


この世界に投影をし続けるかぎり、

自分は、その投影した自分を癒し、ゆるしていく必要があるのだということです。


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わたしたちは、「癒しの必要性」に対して思っている以上に無自覚だといえます。

そう、わたしたちは、「この自分がいかに満たされていないか、幸せでないか」

ということにあまりにも無自覚だということです


たしかに、わたしたちは、無意識的なところではそのことを常に感じているわけです。

それゆえに、わたしたちは、この世界にそれを埋めるものがあると信じて止みません。

わたしたちは、この世的な程良い幸せで自分自身を欺いていることに気づいていません。


「自分は満たされてはいない、自分は幸せでない、自分は不幸である」


「Joy & Happiness」が然るべきわたしたちの本来の状態です。

それこそが、神の子の特権なのです。

そのことをはっきりと認識して、

神の子としての本来の特権を取り戻したいという「意欲」を持つことは、

神のもとへ帰るにはとても大事なことであるのは明らかです。


自分はまだ真に満たされてはいない、自分はまだ真に幸せではない、、、


そのことを自覚するならば、自分はもっともっと癒される必要性があると気づくのは明白です。

愛と歓びと至福の中で完全に満たされるまで、

自分は無罪であり、無辜であり、完全に安全なんだと、

そして、もう神の愛以外は何も要らない、となるそのときまで、

自分を癒していく必要があるのだということです。


コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の中のジーザスはこう言います。

その癒しの旅は、時間の中の旅における最後の旅路になると。


でも、この旅は、けっして一人で歩むというものではありません。

道を示してくれるジーザス(イエス)がいます。

共に歩んでくれる聖霊がいます。


また、この旅は、けっして一人で成し遂げられるものでもありません。

私には兄弟が必要です。

癒しには兄弟であるあなたが必要です。


癒しは、兄弟と共に、兄弟を通してもたらされるものだからです。


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2017/07/23

自と他の区別を通り越して

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最近の私は、自分の知覚が変容してきているのを感じています。

どんなふうに変わってきているのかと言いますと、

自分と他者とが分離しているという認識がますますなってきているという感じです。


とくに、セッションにおいては、それが顕著に自覚できます。

そこには自分の心と相手の心とが別々に分離したものとしてあるのではなく、

ワンネス(一体性)なる一つの心として知覚して扱っているという感覚に気づきます。


そこには、一つの心しかありません。

そこには、一つの聖霊しかいません。

そこには、一つの自我しかありません。

そこには、あなたの「○○」とか、私の「○○」というものがありません。

そこでは、あなたと私は一つです。


以前はどんなだったかというと、

私の心とあなたの心は別々のものと認識していたところがあり、

(分離したこの世界では誰もみなそれが当たり前の感覚で知覚しています)

そこには、私の内なる声(聖霊)とあなたの内側の声(聖霊)がいる、

という感じでした。


もちろん、自我(エゴ)に対する認識の仕方も同様に、

「私の自我」と「あなたの自我」があって、

それらはそれぞれの内側に別々に個々のものとしてあると思っていました。

だから、セラピストである私は、クライアントであるあなたの内側の自我にアプローチして、

あなたの自我を赦して、あなたを癒しているという感覚でいました。


そう、私の認識では、私の心(内側)とあなたの心(内側)は別のもので、

私の心の方があなた(クライアントさん)の心よりも少しばかり癒しが進んでいて、

それゆえあなたよりも癒されている私(セラピスト)が、

まだまだ癒されていないあなたの心を癒すのだ、、、

というような想いがそこにはあったように思います。


でも、今ではまったくその認識がちがいます。

あなた(クライアントさん)の心が癒されるとき、癒されているのは私の心でもあるのです。

なぜなら、あなたと私は、同じ一つの心だからです。

誰々が癒されていて誰々が癒されていない、ということはありません。

すべての兄弟たちは自分自身であり、

もっと言えば、その自分はまだまだまったくと言っていいほど癒されていないと気づきます。

その自分はもっともっとたくさんの「赦し」、すなわち「癒し」が必要だと気づくのです。


私は、自分自身には癒されていない部分はまだまだたくさんあると感じています。

そう、他者を知覚しているかぎり、分離を知覚しているということであり、

分離を知覚しなくなるまで、まだまだ「赦し、癒し」が必要なのだということです。

そして、これからがその本格的な癒しと赦しのはじまりという気もします。


癒され、赦されていくのは、この自分です。


この自分とは、神の一人子であることを忘れてしまったあなたです。


私は、その神の一人子である自分をもっともっと癒していく必要があると心から感じています。

そしてそれは、兄弟によって、兄弟と共に、なされていくのだと自覚しています。

けっして、一人で癒されることはありません。

あなたが必要なのです。

私には兄弟が必要なのです。

あなたが癒されていくならば、癒されていくのはこの私だからです。


神の子は一人です。

それが、あなたであり私です。


あなたが、私の救済者なのです。