2017/11/01

幸せになるヒント

この分離の世界は、どこまで行っても分離の二元性の世界です。

それは、どこまで行ってもこの世界には自分が求めている幸せはないことを意味します。

それでも、わたしたちは、この世界に自分を幸せにしてくるものがあると思い込んでいます。

この世界の幸せは、所詮、すべて一時的な代替品でしかないと分かっていても、です。

いくら頭ではそうだとわかっていても、わたしたちの心の働きは、ついつい、この世界に幸せにしてくれるものがあるという想いにかられてしまうのです。


その原因は、わたしたちの無意識にあります。


私が提供するセッションでは、自分の心の中の無意識にアクセスしていくわけですが、なにせ、ワークをやってみると自分でも想いもよらない想念や信念を抱えているということがわかってきます。


そのワークを私は「インナーインクワイアリー(内観ワーク)」と呼んでいます。


それは、自分の心の中を調べ上げていくことをするわけです。

すると、以前の記事『愛への抵抗の終焉 』でも書きましたように、そこにはまるで天邪鬼(あまのじゃく)な自分がいることが明確になります。

天邪鬼(あまのじゃく)な自分とは、「神のもとに帰りたくない自分」、「真理を思い出したくない自分」、「神の愛を拒否したい自分」のことです。

その自分を、自我、とも呼びます。

そして、じつはその自分(自我)こそが、この世界を作り出している張本人でもあるといえます。

自我は、「投影」というトリックによって、外側に投影することで、この世界をリアルとさせて存続させることが可能になるというわけです。


ちなみに、コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の道を歩む者にとっては、この天邪鬼な自分(自我)がいることをわきまえておくことが大事だといえます。

「神のもとに帰りたい、でも、まだ帰りたくない」とか、「この世界を終わりにしたい、でも、まだ終わりたくない」という相反する分裂した想いが自分の内側に同時に存在していることを知っておかねばなりません。

なぜなら、そのことを自覚することなしに神のもとに帰ろうとすることは葛藤を生むだけであり、時間を先延ばしにするだけでなく、この人生が自分自身と戦うことに費やされることになるからです。

それゆえ、コース学習者は、そういった自我を意識化していく作業(ワーク)が必要となるわけです。


自我は、自分と同一化することで、無意識に隠されています。

無意識に隠されているということは自覚されにくいということであり、自我は「外側に投影する」ことでそのことに自覚させないようにしています。

じつは、それがこの世界のしくみであり、わたしたちがこの世界で繰り返していることなのです。

しかも、永遠とも呼べる終わりなき時間の中でそれは繰り返されているのです。

それを「輪廻」と呼んでいます。


その「輪廻」から抜け出るために自分の内側を内観することが如何に重要かを知ってください。

たとえ神のもとに帰らなくとも、幸せであるためには、それが必須だということです。

それなしで幸せになることなど不可能だということをどうぞ自覚してください。


無意識を意識化していく。

それはちょうど闇に光を当てていく作業に似ています。

光が当てられると、闇は消滅していきます。

その際に、癒し、気づき、解放が起きていきます。


自分の心の内側を明らかにしていくこと。

癒し、気づき、解放は、そこからはじまります。


そしてまた、わたしたちが求めている本当の幸せとはそこにしかないのだといえます。


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2017/09/06

インナーインクワイアリー・ワークについて

自分の心の中を見つめていく作業を、「Inner Inquiry (インナー・インクワイアリー/内観)」と呼びます。


もりGが提供するセッションでは、そのインナーインクワイアリー・ワークを行うこともあります。


Inner Inquiry (インナー・インクワイアリー)という言葉について説明しますと、ふつう、Inner Inquiry を日本語では、スピリチュアル用語として「内的探究」と訳されています。


ただ、私から言わせてもらうと「探究」という言葉は、何かとりとめのないものを探すような意味合いをイメージしがちで、あまり、しっくりとする日本語訳とは思えません。


どちらかと言いますと、Inner Inquiryのワーク(作業)は、自分の無意識の心の中を「調べ上げる」といった感じに近いと言えます。

普段はまったく意識していない心の中の領域に目を向けることをしていくということです。


なので、Inner Inquiry (インナー・インクワイアリー)を日本語で表現するとしたら、「内観」という言葉の方がピッタリと来るように感じます。


だた、「内観」と言いましても、無意識の中を掘り下げていくその深さは「真我(神意識、普遍意識)」に到達するまでアクセスしていきますので、通常の内観とはまるでちがうものだということを実感していただけたらと思います。


つまり、Inner Inquiry (インナー・インクワイアリー)ワークとは、自分の内側を内観しながら、心の中を整理していくものだと捉えていただくといいと思います。

それは、無意識に押し込まれた感情、記憶、思考(想念)、信念などを明るみにしていく作業(ワーク)でもあり、またそれは、ちょうど内側のクリアリング(取り消し)、あるいは、クレンジング(浄化)していく作業というふうに言い換えることが出来ると思います。


さらに言うなら、無意識の中に押し込めた闇の部分に光を当てていくようなものだと思っていただけたらいいと思います。

闇に光を当てることで、闇は止滅していきます。

そのプロセスにおいて、気づき、癒し、赦し、解放(知覚の訂正)といったことが起きていきます。


心が変わるだけでなく、知覚そのものも、より軽やかで穏やかなものへと変容していきます。


自分人生の謎が紐解かれていくとともに、この宇宙の神秘の謎も紐解かれていきます。


それは、あなたにとってのスピリチュアルな旅の劇的な跳躍となるでしょう。


あなたが真摯に自分自身の心に正直になっていくならば、あなたの想像を遥かに超えた体験をもたらすことになるでしょう。


それが、私がセッションで行っている「Inner Inquiry work (インナー・インクワイアリー・ワーク)」というものです。


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2017/08/26

心の中の闇に光を当てる

自分の内側に闇(罪意識)を隠し持ったまま、神のもとに帰るということは不可能なことです。


自分の内側に闇の部分を抱えたまま、目覚めたいとか、輪廻転生を終わりたいとか、神のもとに帰りたいとか、そういうものをいくら求めてもそれは成し得ないと言うことです。


言い換えれば、この世界を知覚しているということは、自分はまだまだたくさんの闇を無意識に抱えていると言うことが出来ます。


そう、自分の心の中に闇の部分を隠し持ったまま幸せになろうとすることは、あり得ない(絶対に成し得ない)無謀なことをしているということです。


そういう意味で、自分の心の中の闇の部分を直視していくことが、どれだけ重要なことかが分かるはずです。


だとしても、自我は、そういうことしなくても目覚めていくことがあり得ると信じています。

自我は、神聖なるもの、清らかなもの、光、真理、、、そういったものを求めていけばそこに到達できると思っています。

そして、スピリチュアル探究者の中で、そういったものばかりを求めることは、よくあることです。

それによって、二元性世界の中でいつまでもスピリチュアルの旅を続けることになります。


非二元を理解している者ですら、あるいは非二元を一瞥した者ですら、この世のものにかまけている場合もよく見受けられます。

たとえば、他者に向けて真理について語ることに、ノンデュアリティについて教えることに夢中になっている教師たちもいます。


自我は、わたしたちをこの世界から目覚めることから遠ざけたいのです。


それとはまた対照的に、自己の内側に意識は向かってはいるものの、どのように自分の内側と向き合っていけばいいのか?がわからないまま、瞑想ばかりに励んでいる探究者もいます。

悟りに達するにはただひたすら瞑想をし続けるしかないという具合に、です。


ようするに、神のもとへ帰るために、もっとシンプルに云えば、真に幸せになるために、自分の無意識の闇に取り組んでいくことが必要不可欠だということです。


そして、私からお薦めしたいのが、「心理セラピー」というものです。

もっと自分の心の中を癒していくことの重要性を自覚する必要があると思うのです。

とくに、目覚めたい、とか、幸せになりたい、というのなら、なおさらです。

まずは、自分の心の中を癒して(浄化して)いきましょう、ということです。


もっと言えば、わたしたちは自分を癒す(ヒーリングする)ために、この世界にいるのだと言えますし、そのためにこの世界にわたしたちは生きている、と言っても過言ではありません。


この時代では、心理学やスピリチュアリズムが進化してきたこともあって、心のしくみやこの世のしくみがかなり解明されて来ていて、なおさら、わたしたちの意識の進化に伴って、癒し(ヒーリング)に長けた優れたさまざまなセラピー(手法/スキル)があることを知っていただきたいと思います。


自分の心の中に闇の部分を隠し持ったままでは、けっして、幸せにはなれない、神のもとには帰れないことを知ってください。

それは、普通に考えても当然のことです。


わたしたちは、だれもが無意識の心の中に癒されるべき闇を抱えているのであり、それを癒していくことがこの世界に生きている目的だということです。


幸せを求めているのであるのなら、まず、自分の心の中に闇の部分があることを認めてください。

自分はもっと癒しが必要なのだということを知ってください。

自分の「幸せ」とは、こんなものじゃない、と気づいてください。

本当に幸せになる道はそこからはじまるのであり、その道はあなたのために用意されていることを、どうぞ喜んでください。

そして、どうぞ、受け取ってください。


心の闇に光をもたらしていく、その決断は、今この瞬間、あなた自身にゆだねられています。


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2017/08/02

平安へ到達するためのツール

セッションでは、その人が今現在抱えている問題をテーマに、

それをきっかけにして、その人の心の中を調べていくことをしていきます。


なぜなら、その問題の原因となるものといいましょうか、その解決法(答え)は、

その人の心の中にあるからです。


ちなみに、「その人の心の中」と言いましても、

この私も、その人と一緒に心の中を掘り下げていく作業(ワーク)をしていくので、

自分の心の中を内観(内的探索)しているような感覚になります。

そこには、その人の心も、私の心も、区別がなくなってしまうのです。


そのワークのプロセスにおいて、

癒し、赦し、気づき、解放(知覚の訂正)といったものが起こるべくして起きていきます。


かつて(ジーニーと呼ばれていた頃)は、そのプロセスを「自分の整理」と呼んでいました。

自分の内側がどんどん整理されていくにつれて、

真我が開かれていって、神の平安たるものが自分の心を占めていくようになるのです。


そのようなセラピーを施していくことを通して、

私は、深層心理たるもののメカニズムを深く理解していきました。

そして、その理解をベースに独自の心理セラピーは構築されていきました。

私は、自分なりに「(自我の)心のメカニズム」を感覚的に理解していました。

ただ、その理解はあくまでも「感覚的なもの」であって、誰に説明する必要もなく、

自分の中だけでの理解に収まったままでいたのでした。


ちなみに言いますと、その「自分の整理」という心理セラピーは、

自分自身で自己の心の中を内観(内的探索)していきたい方にとっては、

とても有益なものではあったものの、

自分自身以外の他の誰かによって癒してもらうことを求めている方や、

自分以外の誰かに解決(答え)を教えてもらうことを望んでいる方々にとっては、

そのセラピーはあまり価値を見い出されることはありませんでした。

(今では、自分の心の中へと向かう方向こそ、

 つまり、内観(内的探索)していくことこそが真の赦しに至る唯一の道だと言い切れます)


そう、私は、「自我のメカニズム」を感覚的には理解しつつも、

はっきりと概念的な理解として確信したのが、

デイヴィッド・ホフマイスター(著)の『覚醒へのレッスン』を読んだときでした。

そして、それが今現在(2017年8月)における

セッションのかたちに繋がっていくきっかけになったといえます。


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その本の後半部分の「心の5つのレベル」のセクションの箇所(p.511~p.536)は、

じつに興味深く、しかも実用的な内容です。


そこには、「願望(欲求)→信念→思考(想念)→感情→知覚」という図式で、

(自我の)願望が知覚に至るプロセスが示されています。


それは、デイヴィッド・ホフマイスターが、ジーザス(イエス)から

インスピレーションによって与えられたものだと言います。


いくつもの心理セラピー・セッションを通して、

私が自分なりに「心のメカニズム」として捉えてきた考え方と、

そこに書かれてあることがまさにぴったりとハマったのです。


その図は、まさに、平安に到達するためのツールだと言えます。


通常のわたしたちの認識では、

この世界というものが存在していて、

そしてこの世界のなかの森羅万象を五感で知覚して、

それによって感情や想い(思考、想念)が動くのだと、、、

そう考えています。


しかし、真理からすれば、その認識はまったくのあべこべで、

わたしたちは、知覚したいものを知覚しているのであって、

そのために感情や想い(思考、想念)を生起させることで、

本当は実在しないこの世界があたかも存在しているかのようにでっち上げているだけ、、、

と言うことが出来ます。


自分の心が分離を信じていることを自分自身で気付くことがないように、

その真実を隠そうとしてしているのが、この世界なのです。

知覚の世界は、わたしたちから真理を隠すためにエゴによって作られたということです。


もし『覚醒へのレッスン』をお持ちならば、

その本の後半部分の「心の5つのレベル」のセクションの箇所(p.511~p.536)に、

ぜひもう一度目を通されることを私からお薦めします。

その「心の5つレベル」のセクションの箇所を本当に理解するならば、

コースの本編テキストの理解もかなり進むことになるでしょう。

そして何よりも、あなたの癒し(赦し)は、もっとスムーズなものになっていくでしょう。



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2017/07/23

自と他の区別を通り越して

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最近の私は、自分の知覚が変容してきているのを感じています。

どんなふうに変わってきているのかと言いますと、

自分と他者とが分離しているという認識がますますなってきているという感じです。


とくに、セッションにおいては、それが顕著に自覚できます。

そこには自分の心と相手の心とが別々に分離したものとしてあるのではなく、

一なる心として知覚して扱っているという感覚に気づきます。


そこには、一つの心しかありません。

そこには、一つの聖霊しかいません。

そこには、一つの自我しかありません。

そこには、あなたの「○○」とか、私の「○○」というものがありません。

そこでは、あなたと私は一つです。


以前はどんなだったかというと、

私の心とあなたの心は別々のものと認識していたところがありました。

(分離したこの世界では誰もみんなそれが当たり前の感覚で知覚していますが、、、)

そして、セラピストである私は、クライアントであるあなたの内側の心にアプローチして、

あなたの心を癒しているという感覚でいました。


そこには、私の内なる声(聖霊)とあなたの内側の声(聖霊)がいる、

という感じでした。


自我(エゴ)に対する認識の仕方も同様に、

「私の自我」と「あなたの自我」があると思っていました。

それらはそれぞれの内側に別々に個々のものとしてあると。


そう、これまでの私の認識では、私の心(内側)とあなたの心(内側)は別のもので、

私の心の方があなた(クライアントさん)の心よりも少しばかり癒しが進んでいて、

それゆえあなたよりも癒されている私(セラピスト)が、

まだまだ癒されていないあなたの心を癒すのだ、、、

というふうな捉え方でクライアントさんと対峙していたということです。


でも、今ではまったくその捉え方がちがいます。

あなた(クライアントさん)の心が癒されるとき、癒されているのは私の心でもあるのです。

なぜなら、あなたと私は、同じ一つの心だからです。

誰々が癒されていて誰々が癒されていない、ということはありません。

すべての兄弟たちは自分自身であり、

その自分はまだまだまったくと言っていいほど癒されていないと気づきます。

その自分はもっともっとたくさんの「癒し」が必要だと気づくのです。


私自身も、癒されていない部分はまだまだたくさんあると感じています。

他者を知覚しているかぎり、分離を知覚しているということであり、

分離を知覚しなくなるまで、まだまだ「癒し」が必要なのだということですから。


癒していくのも、癒されていくのも、この自分です。


この自分とは、神の一人子であることを忘れてしまったあなたです。


私は、その神の一人子である自分をもっともっと癒していく必要があると感じています。

そしてそれは、兄弟によって、兄弟と共に、なされていくのだと。

けっして、一人で癒されることはありません。

あなたが必要なのです。

私には兄弟が必要なのです。

あなたが癒されていくならば、癒されていくのはこの私だからです。


神の子は一人です。

それが、あなたであり私です。


あなたが、私の救済者なのです。