2016/11/21

立つ鳥跡を濁さず

「立つ鳥跡を濁さず」ということばがあるが、

それは、きれいに美しく去るというのではなく、跡に何も残さない、ということ。


一切、何も残さない。


何か一つでも残しておきたいという気持ちがわずかでもあるのなら、

それが、この世界に縛り付けられる要因になる。

あなたは、必ずやまたこの世界に引き戻されてくることになる。

この世界に想いを残こしたまま、あなたはこの世界から飛び立つことはできない。

何かを残したまま、あなたはこの世界から自由になることはできない。


エゴはこの世界にいたいのだ。

なぜなら、エゴはこの世界でしか存続できないからだ。

ゆえに、エゴはひそかに何かを残そうとする。

そのわずかなものですらも、けっして見逃してはいけない。

もう、二度と輪廻をして、この世界に戻って来ないために。


幻想を完全に終わらせるということは、そういうことである。


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2016/10/26

もしきみがエゴを解体するなら


きみは悟って、


相反するものを持たない永遠の生命になったあとは、


天国で永久にその生命を体験する。


身体でここにいるあいだも、


その実在の生命をときおり体験することができるが、


いずれエゴを取り去り、


神のわが家へ戻る真の赦しを通して、


永続的にその生命へ回帰するんだ。


その方法を教えない霊性(スピリチュアリティ)は


どんなものでも多大な時間を要することになる。


もしきみがエゴを解体するなら、


一見、生命の反対に思える死が、


単に幻想のなかで展開されている信念にすぎないとわかるだろう。


『Love has forgotten no one』より



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2016/09/20

死か?それともスピリットか?

今から約二千五百年前、お釈迦さまはこう説かれました。


「この世のすべては、苦しみでしかありません(一切皆苦)」と。


その言葉だけでこの世を捉えるとき、失望感、絶望感、虚無感を生起させることになります。

ただ、お釈迦さまは、その言葉だけでは終わりませんでした。


「この世の苦しみから脱却する道があります」と。


そして、さらには、


「絶対なる幸福に至る道があるのですよ」と説かれたのです。


その言葉は、「この世のものでは絶対に幸せにはなれない」ということの宣告であり、

「でも、この世を超えたところに、本当の絶対なる幸せがあるのだ」と、

その道を選択するよう催促しているようにも聞こえます。


そして、その道こそが、「解脱、悟り」と呼ばれるものです。


ただし、この世のもので自分の心を満たそうとする者にとって、

あるいは、世俗的(物質的)なもので幸せになろうとする者にとっては、

なかなかそう容易くその道を選択できるものではありません。

そう、その道を選択するには、それぞれのプロセスとタイミングがあるのだということです。


あなたが、この世のもので真に歓びを見い出すことができないのならば、

あなたは、この世のものを超えていくことを望んでここに生れてきたということです。

そう、あなたが本当に求めているものは、この世にはない、ということです。

そのあなたが本当に求めているものは、この世を超えたものであり、

この世を超えていくことだと言うことができます。


そんなあなたにとって、もはやこの世は何の意味がないことを知ってください。

この世に意味があるとするならば、

この世は、我が家へと還っていくために、最後の旅路を歩むためにあるのだと知るときです。

それ以外、この世は生きるに値しないといえましょう。

なぜならば、あなたは、いずれこの世を去っていくことになっているのですから。


あなたがこの世を去るとき、この世に何かの想いを残していくのか?

それとも、「立つ鳥跡を濁さず」というように、すべてを整理してこの世を去っていくのか?

この二つは、大きくちがいます。

前者は、死というものでこの世を去ることになります。

後者は、一なるスピリットへと還るかたちでこの世を去ることになります。


そして、言うまでもなく、後者が、仏教で言うところの「解脱」です。


あなたは、時間という名の魂の旅を終えるでしょう。

輪廻という終わりなき旅の終焉を迎えることになるでしょう。


この世は幻想であるように、輪廻転生も幻想です。


その幻想が終わるのです。

いま、の永遠に生きるようになります。

ここ、という非局所に遍在する神へと還っていきます。

一体全体(ワンネス)という全き満ち足りたあなたへと還っていきます。

一なるスピリット。

それが、本来のあなたです。

ゆえに、じつは、「死」よりも「一なるスピリット」へ還ることの方が、

本当は簡単なのだと言われています。


死によって、この世を去るのか?

それとも、一なるスピリットへ還ることによって、この世を去るのか?


それは、すでにあなたの内なる心が知っています。


その答えは、あなたの心が望んでいるか?望んでいないか?ただそれだけなのです。


2016/09/19

エゴの解体、究極の悟りへ

この世は生きるに値しない。何の意味もない。無い。


この真理の言葉をすんなりと受け入れられる人もいれば、

そうではなく、違和感を覚える人もいるでしょう。


巷の悟り系のスピリチュアリズムでは、非二元(ノンデュアリティ)と称して、

「悟り」というものがいろいろな人たちの言葉で表現されています。

「悟り」というものについて云えば、さまざまな段階があるように私は感じています。

そこには、それぞれのプロセスと段階があるということです。

同じ「悟り」「ノンデュアリティ(非二元)」「目覚め」「覚醒」という言葉を使っていても、

一概に同じスピリチュアリズムとして捉えるのは誤りだということです。


「悟り」といいましても、私が思うに、大きく分けて2種類あるように思います。

「悟り」を、「目醒め」という言葉で置き換えてもいいのですが、

その一つは、夢から目醒める(Awake from the Dream)という悟りと、

もう一つは、夢の中で目醒める(Awake in the Dream)という悟りの、

その二つがあるように思うのです。

前者は、完全なる悟りであり、本当の意味でこの世界から解脱していくものであります。

後者は、「悟り」によってこの世界でもっと楽に自由に生きることができることを謳って、

結果的に二元性なるこの世界で悟りというものに捉われている、といった感じを受けます。


もちろん、そこには、どちらがイイとかワルイとか、ジャッジするものでもありません。

だれもが、それぞれのプロセスで必要な経験をしているのですから。

じつのところ、かくいう私も、過去のこれまでの自分を顧みるならば、

正直、後者を生きていたことを認めざるを得ません。

夢から目醒めることを求めていたはずなのに、いつしか夢の中に没頭してしまっていた、、、

そのことに気づく次第です。


私も、必要なプロセスをたどって来たのだといえます。

私は、必要な体験をしてきたと感じています。

それらの体験があるからこそ、新たな選択に何の躊躇もない自分がいることがわかるのです。

すべては、完璧なタイミングで自分にやって来ます。

その準備が整ったときに、その時はやって来るのだと。


この世は、生きるに値しない。


今の私には、その言葉がしっくりきますし、すんなりと受け入れられます。

それは死の世界へと入っていく準備ができたということです。

死の世界とは、スピリット(霊)の世界のことです。

いまここに、すでにその死の世界(霊の世界)が開かれていることがわかります。


生きながら、死の世界に入る、、、

それは、エゴ(自我)の死を意味します。

エゴ(自我)は、この世界で生き続けようとします。

エゴ(自我)は、この世界が必要なのです。

エゴは、未来が必要なのです。

エゴは、未来という時間を創造したいのです。


ただし、夢から目醒める(Awake from the Dream)という道を生きる者は、

もう、自らが目醒めていくためにしかこの世界を必要としません。

この世界は自らが目醒めていくためのアイテムだとして生きるようになります。

世界に他者はいません。

願望を実現するために未来を創造しようとは思いません。

むしろ、未来を喪失していくことを歓びとしています。

ちなみに、それは、絶望ではありません。

それは、絶望というものではなく、全託だといえます。


あなたの魂が、真に望んでいるのは、

夢から目醒める(Awake from the Dream)というな道でしょうか?

それとも、夢の中で目醒める(Awake in the Dream)のような悟りなのでしょうか?


それは、後者を生きる者をけっして否定するものではありません。

むしろ、前者を生きる者は、後者を生きる者を、

自分の一部として受け入れ、あるがままにゆるしていくことになります。

そして、前者を生きる者は、この世界のあらゆることを手放していくことになります。

すべてをあるがままにあることをゆるしていきます。

放棄していくことになります。

明け渡していくことになります。

彼らが、本当に求めているのは、自分のみているこの世界から去ることなのですから。

彼らは、自分が本当に求めているものはこの世にはないことを知っています。

そうやって、スピリット(霊)に還っていくことになります。


「夢から目醒める」とは、仏教でいうところの「解脱」です。

解脱とは、生と死の輪廻からの脱却であり、時間という名の永遠なる旅の終焉であり、

真の悟りであり、完全なる悟りだということです。

それは、「夢の中で目醒める」のとは、明らかにちがうものであることを知ってください。

それは、さまざまスピリチュアリティの中でも特異であるということです。


この時代に生きるわたしたちにとっては、目醒めるチャンスにはちがいありません。


あなたは、どちらの「目醒め」を求めているのでしょう?


あなたにとって、この人生で真に求めているものはどっちの「悟り」なのでしょう?


あなたは、何のためにスピリチュアルを探究しているのか?


どうか、今一度、あなた自身に問うてみてください。

そして、あなたにとって真に望んでいるものが、「夢から目醒める」というものならば、

今がその道を歩きはじめる時なのだと知ってください。


2016/09/17

夢から目醒める

現実だと思っているこの世界についての真実を言うならば、

自分が知覚し、認識しているこの世界は、

眠っているときに見ている夢の中の世界と同じように、

自分自身が創り出した世界だと言うことが出来ます。


別の言い方では、

「この世界は、自分の心が投影された世界」というふうにも言われているように、

自分が目にするすべての人、すべてのモノ、すべての事象は、

自分の心によって投影されたものであるということです。


そう、つまりは、この世界は<わたし>が見ている夢だということです。

この<わたし>とは、その夢の主人公であり、その夢の創造主であります。

そして、この世界をよりリアルに信じ込ませるために、

<わたし>は、この世界に自分の身体を、そして自分以外の身体を登場させたということです。


ただし、わたしたちは、この世界を、この現実世界をそのようにはみてはいません。

この世界は、自分がみている夢(幻想)であるとは到底思えず、

この世界は現実だと認識しています。

そうやって、エゴ(自我)のトリックにはまって、

わたしたちはこの時間と空間という幻想世界の夢を見続けているのだといえます。


自分が現実だと思っているこの世は自分の心が作り出した夢(幻想)です。

どんなにリアルにみえようが、所詮、自分がみている夢だということです。


だとしたなら、あなたは何を想うのでしょう?


もちろん、その夢から目醒めることがあなたの目的となるでしょう。

そのためには、この世をゆるし、手放し、遠離していく必要があります。

ただし、それは、一見すると喪失のようにもみえます。

夢から目醒めるとは、そういうものであるからです。

というのも、あなたは、いずれこの世を去るとき、

この世で手にしたもの、かたちあるもの、そのすべてを失うことになります。

その身体も、です。

夢の世界のものを現実の世界に持っていくことはできないように、

あなたがこの世を去るとき、すべての幻想をこの世に置いていくことになるのです。

それが、あなたにとっては死を迎えるときなのかもしれません。

いずれにせよ、この世のものは、あなたがこの世を去るときにすべて失うことになっています。

できることなら、死によってではなく、生きながらにして、

この世のすべてを手放していく道があることを知っていただきたいのです。


この世から自由になるとは、そういうことです。

外から何かを得よう、手にしようとするのをやめ、むしろ手放していくのです。

そのとき、あなたはこの世を必要としなくなります。

あなたは身体をも必要としなくなります。

ただ、覚えておいていただきたいのは、

あなたにその時が来るまで、あなたはその身体を大事に生きる必要があります。

いずれ必要なくなるものだからといっても、夢から目醒めるまではやはり必要なのです。

同じように、あなたはこの世界も愛する必要があります。

この世界を否定しながら、この世界から自由になることはできません。

あなたは、この世界をあるがままにゆるし、この世界から遠離していくのです。

自分のみている夢を愛しながら、夢から醒めていくのです。

あなたが、もっともっとこの世界を夢だと完全に見切るようになるとき、

あなたは、この世界のすべてを愛していたことに気づくでしょう。

そして、この世界も、その身体も、希薄なものへと化していくことでしょう。


これは純粋なる非二元の道です。

この道こそが究極だとは言いませんが、非二元のスピリチュアリズムに一切妥協することなく

実践していく道であるということを覚悟してください。

その道を歩むことは、生きながらにして死へと向かっていくことであるからです。

その道を歩む者は、生きながらにして、いまここにある死の世界を生きる者だからです。


それは、あなたの心を狂気から正気へと修正していくためのものです。

そこには、訓練が必要なのです。

なぜなら、これまでのあなたの心の習性(クセ)は、数え切れないほどの繰り返しによって、

修習されてきたからです。


この世のものはすべて移ろい変わっていくものです。

この世のものすべては信頼に値しないのだということです。

夢の中で手に入れたものを、ずっと持っていくことはできません。

そのことを知っておいてください。

それは、それらを物理的に手放すのだと云っているのではありません。

それは、物質的なかたちのレベルで行うのではなく、

心、すなわち、原因のレベルで行っていくのだということです。


覚悟はできていますか?


覚悟はいいですか?


もし、抵抗や恐れがあったとしても、大丈夫。


すべてはあなたがみている夢(幻想)にしかすぎないことを思い出してください。

怖れをリアルにしないで、それは自分の心の習性で生み出した妄想だと気づいてください。

あなたが覚悟を決めてその道を選択するならば、

あなたは聖霊と共に、この世界の幻想から解き放たれていくていくことになります。


夢は必ず消え去っていくものです。


現実(真実)は、不変です。絶対です。


あなたは、身体ではありません。

あなたは、この世を超えた一なる存在です。

あなたは、スピリット(聖霊)です。

そのスピリットこそが、あなたが戻っていくわが家です。


生きながらにして死の世界へと入っていくのです。

それは、外の世界へと向かっていたこれまでの自分を放棄するということです。

ただし、スピリット(聖霊)なしで、すべてを放棄することは恐怖でしかありません。


すべてを内なる聖霊(スピリット)に明け渡しなさい。

内なる聖霊(スピリット)と共にいなさい。


それが、あなたが確実に幸せへ至る道だということです。