2017/01/14

夢の中に夢中

ドラマや映画は、ハラハラ、ドキドキ、感動といった人の心を動かすために作られている。

心が動かされれば動かされるほど、その物語に夢中になってしまう。


それは、この人生でも同じである。


ポジティブな感情にしろネガティブな感情にしろ、

心が動かされているということは、

自分が作り出したこの世界に夢中になっているということであり、

この世界の幻想を強化しているということになる。


そして、わたしたちは、そのような世界を現実だと思い込んでいる。

そう信じ込んでいる。

実体のない世界を現実としてしまって、その世界にどっぷりとハマってしまっている。

それこそが、まさに、エゴ(自我)の計画である。


それがどんなものであれ心が動揺させられているときは、

それは思い違いをしているということ。

エゴ(自我)の術中にまんまと騙されているということ。


まずは、そのことに気づいていくことから、

この世界から完全に自由になる道ははじまるといえる。


結局は、この世界を幻想だと完全に見限っていかない限り、

夢の中味がどんなに変化していこうと夢は夢のまま続くのであり、

つまりは、いつまでも幻想は終わらないということになる。


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2016/12/24

ゲームの終焉

夢の中で起こっていることは夢を見ている当人にとっては現実ですが、

夢が終われば、実在していなかったということがわかります。

幻想から目覚めるとは、この幻想世界というゲームがプレイされているテーブル上で、

悟りゲームや覚醒ゲームといった幻想の中で目覚めるようなことではありません。

それは、まさにテーブル自体をひっくり返して、そこから遠離することをいいます。


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2016/12/12

石ころはダイヤモンドになり得ない

人は、自分の人生をより良いものにしたいと望んでいます。

なぜなら、幸福になりたい、満足したいからです。

そして、自分の人生をうまくいかせることに日々躍起になっているのが、

わたしたちの人生だといえるでしょう。

この人生は自分の心の反映だということもすっかり忘れて、

それに夢中になっているのです。


真実からいうならば、

この人生をより良くしていくことと真の幸福や満足とは、

まったく別ものであるということです。

それを混同しているのがエゴである。


エゴは、この人生をうまくいかせることが真の幸福や満足にいたるものだと信じ込んでいます。

「信じ込んでいる」ということばですらもまだ弱い気がします。

というのも、いくらそれらが真に幸福するものではないと知識ではわかってはいても、

それでもついそれらを求めてしまうほど、

わたしたちはこの世界のものを信仰していると言えるからです。


真実でないものは、けっして真実にはなり得ない。


それは、ダイヤモンドではない石をいくら磨いたって、

ダイヤモンドにはなり得ないのと同じです。


ダイヤモンドは、この世界を超えたところにあります。

もっといえば、ダイヤモンドはこの世界にはない。


その真実を知っているのに、

なぜ、あなたは、けっしてみつからないところにダイヤモンドを探そうとするのでしょうか?


もっといえば、

なぜ、あなたは、

けっしてダイヤモンドになり得ない石ころに価値を見い出そうとするのでしょうか?


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2016/11/20

無謀な大作戦

あるとき、こんな夢をみた。


私は、宝くじが当たって何千万円か何億円かの大金を手に入れた。

私の心はそれでとても満たされていた。

私は、なんてラッキーなのだろうと。


ただ、私はあることに気づいた。

これは夢だと。

そして私は、何を思ったかというと、

これが夢だと気づいたものの、

その大金をどうにか現実に持ってはいけないだろうか?と考えた。

できるなら、その大金を手放したくはなかった。

この世界に持って帰りたかった。


そして、私は、その大金ごと一緒に夢から目覚めることを試みた。

どうにかうまくいってくれ、、、

そして、私は、夢から目が覚めた。

夢から覚めたそこは、この世界でのいつもどおりの夜の部屋だった。

もちろん、成功はしなかった。


所詮、夢は夢でしかなかった。

いくら夢の中で手に入れたとしても、夢の中のものを現実に持っていくことは不可能なのだ。

もっと言えば、

すべてははじめからなにも起きていなかった、、、幻想だったということだ。

そして、この世もそういうものだと。


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2016/11/19

絶望について

絶望というものは、

「光」のないところに「光」をみつけようとすることの勘違いから起こるものです。

この世界のものに望みを持とうとするなら、

いずれにせよ、わたしたちは絶望と向き合うことになります。

それを生きているのがわたしたち人間です。


この世界には、救いはありません。

この世界では、失望させられ続けてきたことを思い出してください。

あなたが絶望しているのは、

この世界にはあなたが本当に求めている真の救いはないのだということを、

ただ目の当たりにしているにしかすぎないのだということです。

真の救いは、あなたの内にあります。

光はそこにあります。


内なる自己は、一なる心でこの宇宙に存在するすべてのものとつながっています。

内なる自己は、すべてと一つです。光です。愛です。神です。

そこには、真の平安、絶対なる平安があります。


もし、あなたが自己の内へと向かおうとせずに、

外側の世界でみんなと一つにつながろうとしているのなら、

あなたは結局のところ絶望していくことになるのです。


光を外の世界に見出そうとする。

愛を外の世界に広げようとする。

外の世界でみんなとつながろうとする。

今までの時代は、それが宗教と呼ばれるものだったのかもしれません。

現代のスピリチュアリズムにおいても、同じような傾向があることは否めません。

それは、内なる自己(光)とは真反対の方向に向いているということです。

内なる自己、つまり光の方向とは真逆だということです。


あなたが内なる自己(光)を見い出すなら、

あなたの意識の方向性に反転が起き、

自分の目の前に映るこの世界は、幻想世界へと反転して映ってみえることでしょう。

真実は、内なる方向にあることを知るでしょう。

そして、この世界は、取るに足らない幻想だということがわかるでしょう。


もし、この世界に絶望を感じているのなら、

どうぞ、自らの向かう方向を反転させるチャンスだと知ってください。

そして、外へと向かっていた意識を自己の内へと反転させていくことは、

この幻想世界から真に自由になっていくことなのだと知ってください。


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