2017/07/26

カースティンさん

カースティン(Kirsten Buxton)さんは、

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の実践者です。


カースティン(Kirsten Buxton)さんを「YouTube」ではじめて知ったとき、

神の教師としての在り方、生き方をそのまま示してくれている人だと感じました。

私は感動すらしたのを覚えています。


これまでもコースを教えているたくさんの教師たる方々を目にしてきましたが、

神に対する彼女の姿勢といいましょうか、その向き合い方、在り方は、

まさにこういう人を「神の教師」と呼ぶのだろうと私は感じたほどです。


それがきっかけで、カースティンさんの「YouTube」を観たり、

音声を聴くようになったのですが、その内容もかなり興味深くじつに素晴らしいです。


彼女の実践を通しての実体験から語られるその言葉は、

コースについての形而上学的なところは、テキスト、ワークブック、マニュアルからも、

あるいは、コースに関する教材からも学ぶことが出来ますが、

それらの教材からは学ぶことの出来ない内容が満載でとても参考になります。


ということで、もし、英語が大丈夫な方は、私からカースティンさんがぜひお勧めです。


カースティン(Kirsten Buxton)さんについて、もっと知りたい方は、

どうぞ下記の彼女のサイトをご覧くださいませ。


カースティンさんのサイト『Kirsten A mystic by nature』:

https://kirsten.i-am-one.net/



2017/07/24

癒しの旅 ~最後の旅路

自分自身には、癒されていない部分がまだまだたくさんあると感じています。

それこそ、この宇宙に散りばめられた星の数ほどの「癒し」が必要だと感じています。


この世界に投影をし続けるかぎり、

自分は、その投影した自分を癒し、赦し続けていく必要があるのだということです。

そしてその旅は、むしろ、これからがその本格的なはじまりなのだと思ったりします。


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わたしたちは、「癒しの必要性」に対して思っている以上に無自覚だといえます。

そう、わたしたちは、「この自分がいかに満たされていないか、幸せでないか」

ということにあまりにも無自覚だということです


たしかに、わたしたちは、無意識的なところではそのことを常に感じているわけです。

それゆえに、この世界にそれを埋めるものがあると信じて求めて生きているといえます。

ただ、わたしたちは、この世的な程良い幸せで自分自身を欺いていることに気づいていません。


「自分は満たされてはいない、自分は幸せでない、自分は不幸である」


実相からするならば、「Joy & Happiness」が然るべきわたしたちの状態なのです。

それこそが、神の子の特権なのです。

そのことをはっきりと認識して、

神の子としての本来の特権を取り戻したいという「意欲」を持つことは、

神のもとへ帰るにはとても大事なことであるのは明らかです。


自分はまだ真に満たされてはいない、自分はまだ真に幸せではない、、、

だからこそ、自分はもっともっと癒しを受け入れて行く必要性があると気づくのです。

愛と歓びと至福の中で完全に満たされるまで、

自分は無罪であり、無辜であり、完全に安全なんだと、

そして、もう神の愛以外は何も要らない、となるそのときまで、

自分は、癒し(=赦し)続ける必要があるのだと自覚する次第なのです。


コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の中のジーザスはこう言います。

その癒しの旅は、時間の中の旅における最後の旅路になると。


でも、この旅は、けっして一人で歩むというものではありません。

道を示してくれるジーザス(イエス)がいます。

共に歩んでくれる聖霊がいます。


また、この旅は、けっして一人で成し遂げられるものでもありません。

私には兄弟が必要です。

癒しには兄弟であるあなたが必要です。


癒し(=赦し)は、兄弟と共に、兄弟によってもたらされるものだからです。

兄弟とは、神の子キリストであり、この自分でもあります。


兄弟であるあなたの中にキリストを私はみたいのです。


父よ、私はあなたの子である兄弟の中にキリストをみていきます。


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2017/07/23

自と他の区別を通り越して

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最近の私は、自分の知覚が変容してきているのを感じています。

どんなふうに変わってきているのかと言いますと、

自分と他者とが分離しているという認識がますますなってきているという感じです。


とくに、セッションにおいては、それが顕著に自覚できます。

そこには自分の心と相手の心とが別々に分離したものとしてあるのではなく、

ワンネス(一体性)なる一つの心として知覚して扱っているという感覚に気づきます。


そこには、一つの心しかありません。

そこには、一つの聖霊しかいません。

そこには、一つの自我しかありません。

そこには、あなたの「○○」とか、私の「○○」というものがありません。

そこでは、あなたと私は一つです。


以前はどんなだったかというと、

私の心とあなたの心は別々のものと認識していたところがあり、

(分離したこの世界では誰もみなそれが当たり前の感覚で知覚しています)

そこには、私の内なる声(聖霊)とあなたの内側の声(聖霊)がいる、

という感じでした。


もちろん、自我(エゴ)に対する認識の仕方も同様に、

「私の自我」と「あなたの自我」があって、

それらはそれぞれの内側に別々に個々のものとしてあると思っていました。

だから、セラピストである私は、クライアントであるあなたの内側の自我にアプローチして、

あなたの自我を赦して、あなたを癒しているという感覚でいました。


さらにはまた私の認識では、

私の心(内側)とあなたの心(内側)は別のもので、

私の心の方があなた(クライアントさん)の心よりも少しばかり癒しが進んでいて、

それゆえあなたよりも癒されている私(セラピスト)が、

まだまだ癒されていないあなたの心を癒すのだ、、、

というような想いがそこにはあったように思います。


でも、今ではまったくその認識がちがいます。

あなた(クライアントさん)の心が癒されるとき、癒されているのは私の心でもあるのです。

なぜなら、あなたと私は、同じ一つの心だからです。

誰々が癒されていて誰々が癒されていない、ということはありません。

すべての兄弟たちは自分自身であり、

もっと言えば、その自分はまだまだまったくと言っていいほど癒されていないと気づきます。

その自分はもっともっとたくさんの「赦し」、すなわち「癒し」が必要だと気づくのです。


私は、自分自身には癒されていない部分はまだまだたくさんあると感じています。

そう、他者を知覚しているかぎり、分離を知覚しているということであり、

分離を知覚しなくなるまで、まだまだ「赦し、癒し」が必要なのだということです。

そして、これからがその本格的な癒しと赦しのはじまりという気もします。


癒され、赦されていくのは、この自分です。


この自分とは、神の一人子であることを忘れてしまったあなたです。


私は、その神の一人子である自分をもっともっと癒していく必要があると心から感じています。

そしてそれは、兄弟によって、兄弟と共に、なされていくのだと自覚しています。

けっして、一人で癒されることはありません。

あなたが必要なのです。

私には兄弟が必要なのです。

あなたが癒されていくならば、癒されていくのはこの私だからです。


神の子は一人です。

それが、あなたであり私です。


あなた(クライアントさん)が、私の救済者なのです。


2017/07/20

幸せな夢にシフトする

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コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)は、

夢であるこの世界から目覚めて神のみもとに帰ることを目的としていますが、

コースを学んでいくにつれて、そのプロセスにおいて、

自分の見ている夢(世界)がどんどん幸せなものにシフトしていくことにもなります。


そのことにちなんで自分自身について顧みたとき、

たしかに私の夢は、より幸せな夢へとたどっていることに気づかされます。


ただ、それは形態(かたち)のレベルで言っているのではないということです。


そう、私の心は、平安の中により長く留まるようになっていっています。

心が惑わされ動揺することもほとんど無くなってきています。

さらにいえば、真理(神)を求める気持ちはより強くなっていっていくばかりです。

そして、その道を実践していくための環境が完璧なまでに整えられていることにも、

あらためて気づかされます。

そう、それは私が心の奥で一番に望んでいることだったということを自覚するのです。


一般的に「幸せなもの(夢)にシフトする」という場合、

ついこの世的な成功とか、経済的な裕福とか、あっちこっち好きなところに行けるようになる、

といったようなことをイメージしがちなものです。


でも、そうではありません。

それは、形態(かたち)ではないということです。

もちろん、そういうこともあるかもしれませんが、

幸せというものを見た目の形態にこだわっているならば、

「今すでにすべてを与えられている」ということを知覚することが出来ません。


この今も、わたしたちはすでに与えられています。神の恩恵を受け取っています。


そこには、感謝があります。

どんな状況であろうとも、そのことを受け入れていくことが、

奇跡のはじまりであり、幸せな夢にシフトしていく秘訣だと言えると思います。


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2017/07/19

幻想を真理へと運ぶ

真理をこの世界に持ち込むことがいかに不可能なことか。

そして、なんと無意味なことか。


真理を幻想のこの世界に持ち込むのではなく、幻想を真理のもとへと運んでいくこと。


今さらながら、ようやくその意味を深く理解する今日この頃です。

さらにいえば、かつての自分は真理をこの世界に持ち込もうとしていたことにすら気づきます。

なにせ、スピリチュアリズムや宗教においてはよくあることです。


天使、龍、宇宙人、高次の存在、チャクラ、オーラ、エネルギー、量子、陰陽、過去世、、、

言葉や概念を駆使して真理を伝えようとすることも、

それらはたんにシンボル(象徴)にしかすぎません。

それらのシンボルが「目覚め」のプロセスにおいて役に立つことはあるかもしれませんが、

それらはすべてが幻想の中だけに存在するものであり、つまりは、「無」でしかありません。


それらのあらゆる幻想すべてを「無」と見て、

真理のもとへと運んでいくことが「赦し」だといえます。

そして、それがわたしたちがしていくことだと言うことができます。


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2017/07/18

目覚めのシナリオ

「すべてはシナリオが書かれている」という言い方がされています。


ならば、目覚めることもシナリオで決まっているのでは?と言うこともできます。


でも、デイヴィッド・ホフマイスター(『覚醒へのレッスン』の著者)は、こう言います。


「エンライトメントは、シナリオの中にはない。それはシナリオの外にあるのであり、

つまりは、シナリオの外に出ることが目覚めである」と。


自分は、コース(奇跡講座/奇跡のコース)を学んで、

以前よりはずいぶんと楽になった、

ずいぶんと心が平安になった、

ずいぶんと目覚めてきた、、、などと言っても、

その自分とは、まだシナリオの中にいるのであって目覚めてはいないのだということです。


シナリオとは時間の中のものであって、

目覚めへと近づいていくシナリオは書かれていても、

目覚めはシナリオの中にはないということです。


それは、時間というシナリオの中にいるかぎり、

いつかそのうちに目覚めるということはないことを意味します。


つまるところ、

「いま」この瞬間に、真理(目覚め)を求めるその意志がやはり大事なのだといえます。


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2017/07/17

時間のはじまりの地点へ

自分は、直線状に流れている時間の中で、

未来に向かって生きていると信じ込んでいたことに気づきます。


真理をゴールと決めている心にとっては、

その時間のベクトルが反転していることを認識せねばなりません。


未来とは、表層の形態においてそう見えているだけで、

過去が取り消されていくためにこの“いま”に立ち現れているにしかすぎません。


それは、まるで時間のはじまった地点へと遡っていっているだけのことだということです。


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2017/07/16

自分の思考の力を思い出す

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)では、

どんな嫌なこと、不満なことであっても、

どんなに自分のせいで起こったことではないと思うことであっても、

自分の世界で起きていることはすべて「自分の責任」であると、語られています。


そんなことはない、と言いたがるのがエゴ(自我)です。

そして、わたしたちの日常のすべてと言っていいほど、そのエゴでこの世界を見ています。


でも、もし、その真理をまっすぐに受け入れるならば、

わたしたちは、自分自身の思考の力を取り戻すことになります。

なぜなら、自分の世界で起きていることはすべて「自分の責任」であるならば、

自分で訂正し直すことが可能だということだからです。


わたしたちは、この世界で起きていることの被害者ではありません。

自分の世界で起きていることは、すべて自分の求めた通りのものであるということです。

それは、自分の思考にはそれだけの力があるという意味でもあります。


もう、被害者である必要はありません。

被害者であることから自由になることが目覚めというものであり、

その方法を、コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)では箇所箇所に示してくれています。

その中でもっともご紹介したい箇所が、

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト第21章  21-2 「見ることに対する責任」です。

興味のある方は、ご覧ください。


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<奇跡講座(奇跡のコース)テキスト第21章  21-2 「見ることに対する責任」より>


これから述べることが、心眼や幸福や、苦痛から解放されて罪からの完全な脱出のために、

あなたがなすべき唯一の事です。


ただ、次のように言いなさい。


なぜなら、ここにこそ救済の力があるからです。



私が見ているものについての責任は、私自身にあります。


私が経験する感情を選択するのは私自身であり、

私が達成したいゴールを決めるのも私自身です。


そして、自分の身に起こるように見えるすべては、

私が求めて、求めた通りに受け取るものです。



自分に対してなされることを前にして自分は無力であると、

これ以上自分自身を騙すのはやめなさい。


自分が間違っていただけだと認めなさい。


そうすれば、あなたの間違いの結果は、すべて消え去るでしょう。



神の子が、ただ自らの外で起こる出来事によってつき動かされているということは、

あり得ません。


その人に訪れる出来事が、その人による選択ではなかったということは、あり得ません。


その人の決断の力は、偶然性や思いがけないことによって

自分が居合わせたかのように見える状況のすべてを決定するものです。


神が創造した宇宙の中には、いかなる偶発性や偶然性もあり得ず、

その外には何も存在しません。


苦しむとすれば、あなたは罪を自分のゴールと決めたのです。


幸せであるならば、自分のために神を選ぶ選択をしてくれる聖霊に決断の力を譲ったのです。


これが、あなたが聖霊に差し出す小さな贈り物で、

聖霊はこれさえもあなたが自分自身に与えることができるようにと、聖霊はあなたに与えます。


この贈り物によって、あなたに自ら救済者を解放する力が与えられ、

それによってその人があなたに救済を与えることが出来るようになるからです。


ー奇跡講座(奇跡のコース)テキスト第21章  21-2 「見ることに対する責任」より抜粋ー


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