2017/09/25

直線的時間への中毒

デイヴィッド・ホフマイスターさんのコミュニティーの方がフェイスブックにアップしていた一文が面白かったので訳してみました。

わたしたちは、元々あるこの世界に自分が生れてきて成長して今があり、そしていつか死を迎える、と当たり前に思っています。
そう、「時間は、過去から現在、そして未来へと流れている」というふうに時間を捉えているということです。
そして、わたしたちは、その時間に追われるように日々生きているといえます。
それを、直線的時間に中毒になっている、とデイヴィッドさんは表現しています。

デイヴィッドさんの教えはとてもとても深淵で、なかなか理解し難いところがあります。
今回は、自分の理解したままを感覚的に文字にしていますので、どうぞご了承ください。
原文も貼ってますのでそちらもご覧ください。

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わたしたちは、リニアな時間軸系の中毒にハマってしまっています。
それは、ヘロイン中毒やアルコール中毒や様々なハードコア中毒と言われてるようなどんなものよりも、重症の中毒と言えます。
あなたは、過去に起きたことを当然のように現に起きたと思っていますし、未来に起こるに違いない、と何かをすでに想定しています。
いわゆる、仮想のシナリオを信じ切って、それを自分の基盤として生きているということです。
だから、一日中何をしていようと、仮想のシナリオに戻りたがる心を警戒して見張っていなければなりません。
あなたがプロジェクト(コミュニティーでの作業)の最中であったとしても、例えば、冬支度をしていたり、ビデオを編集していたり、作曲をしていたり、礼拝を執り行っていたりしても、警戒していなけれなりません。
もし、あなたが話をしている最中でも、次は何?どうだったっけ?など過去や未来への考えに、心が知らず知らず”眠った状態”へと陥っているのを見つけたら、それが、中毒というものです。

存在していると思っている世界の中の形態は、真理とは一切何の関係もありません。
だから、形態の中で”自分”がどんなに頑張っても、時間中毒から逃れることはできません。
ちょうどまるで葦笛(あしぶえ)の中空を息が通って歌が奏でられるよう、わたしたちは空っぽになって、聖霊の為すがままに動かされることです。
”自分で何かをする”ことを手放して、広大さの体験へと入っていくのです。

”Much more than an addiction to heroin or an addiction to alcohol or some of what they call the hard-core addictions. Linear time is the addiction because it is all based on the belief that there are hypothetical scenarios that you can actually conceive of, that actually occurred in the past and could actually happen in the future. And so, as you go through whatever you are inspired to do through the day, you really have to be vigilant and watch the mind wanting to go back to the hypotheticals.

Even when you are in the middle of your projects whether you are winterizing, editing a video, composing music or even conducting a church service. If you are in the middle of a talk and you find your mind drifting off to 'What is next? How did this go over?' or any of those thoughts, that is the addiction.

It doesn’t really matter what is going on in form, because you will never escape the addiction through the form. It is the Holy Spirit’s use of the form, "being done through" like a hollowed reed being played through so perfectly, that you let go of the "doer" and then experience the vastness. That’s what it is.” —David Hoffmeister


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■イベント情報■
コース(奇跡講座/奇跡のコース)に関心のある方ならどなたでもご参加いただけます。
コースについてもっと知りたい、もっと学びたい方たちとの何でもありのフリートーク2daysです。

2days ACIM(奇跡講座/奇跡のコース)学習会 in 福岡 

2017年10月7日(土)、8日(日) 

詳細は、こちら定員になりましたので、申込を締め切りました。


次回の福岡ACIM学習会は、2017年11月18日(土)を開催予定しています。


2017/09/22

Mystic by nature 3/3

カースティンさんのインタビューYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」の日本語訳のパート3(最終回)です。


カースティンさんの「神を第一にしていくならば、神はすべてのことを面倒見てくれます。」という言葉はとてもシンプルではありますが、やっぱり、それだけなんだなってあらためて気づかせてくれます。
本当にそれだけでいいんだな、って。
そう想うだけで、、、ただそのことを受け入れるだけで、心に平安と至福感が湧いてきます。

どうぞ、そのカースティンさんから放たれる言葉を超えたプレゼンス(存在そのもの)を感じてみてください。



パート1:Mystic by nature 1/3

パート2:Mystic by nature 2/3


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インタビュアー:
コースを学んでいる人たちに学びを進めていく上でもっとも重要なことや、決断する上でもっとも重要なことや、理解する上でもっとも重要なことなど、有益なヒントがあれば教えてください。

カースティン:
神はあなたを愛している、ということを知っていてください。
それだけです。

神の意志はわたしたちが幸せであること、と知ることです。
そして、自我の犠牲の信念は心から癒されていきます。
神に「yes」と言って従っていくこの旅は、犠牲の信念を想起させますが、この旅そのものは受け取ることであり、たくさんのものを神から受け取るようになります。
わたしたちの想像を超えた、より多くの平安、より多くの愛への気づき、より多くのサポートを受け取ります。
神は、わたしたちのすべての面倒を見たいのです。
常に、神を第一に、全面的に信頼し、導いてもらいましょう。

手放すというのは、失う感覚とは違います。
それは、明け渡すとか、聖霊に任せるという感覚です。
「これはこの旅においてわたしを助けてくれるものかどうか教えてください」と聖霊に言うのです。
すべてを手放しあきらめないといけない、と考えるよりも、聖霊の目的のために使ってもらう、というように考えるべきです。
よりもっと「わたしはすべてを明け渡します」というふうになるのです。
そう、そこには自分の人生にとって一つの目的があります。
それはすべて目覚めをサポートするためにあるということです。

インタビュアー:
ありがとうございます。では最後の質問です。
もし12歳当時の自分に電話をかける(話しかける)としたら何と言いますか?

カースティン:

~(間)~

It's safe. It's all going to work out just fine.
「安全よ。すべてはうまくいくから。」ですね。(笑)

ーYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」より抜粋翻訳ー

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2017/09/21

Mystic by nature 2/3

カースティンさんのインタビューYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」の日本語訳のパート2です。


パート1:Mystic by nature 1/3


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インタビュアー:

よくスピリチュアルな世界で、病気の人に対して、「そうなったのはあなたのせいですよ。」と言うのを耳にします。それを聞いてわたしの心は痛みます。自我はそうやって他の人を非難します。

例えば、心はとても健康だけれども、肉体だけが病気になることはあるのでしょうか?それは可能なことでしょうか?


カースティン:

わたしが好きな話し(parable:寓話)に、ラマナ・マハリシについてのものがあります。

彼が人生の最後に近づいていたとき、-彼が永遠の存在であることをわたしたちは知っていますが- 彼の肉体が崩壊しはじめ、徐々に衰え、逝去間近のときに、彼は癌だったと言った人がいました。

しかし、彼の目を見てみると、、、彼が癌の肉体と同一化していたかというと、、、そうとは思えません。

すべては、何と同一化しているか、そして何が信じられているか、に関係しています。


非難や咎めについて、あなたはすごく良い指摘をされましたね。

「これはわたしのせいだ」と言うのは、癒しにおいてなんの役にも立ちません。

しかし、癒しにとっての心の方向としては正しいと言えます。

もし、あなたが癌を信じている、または、癌を患っていると信じているならば、そこには赦しを実践する何かがあります。

癌とは何か?

実質的にそれはどういう意味なのか?

インナーインクワイアリー(内観)によって、

誰が癌を信じているのか?

癌を患うためにはどう在る必要があるのか?

と深いところまで(自分の内側を)見ていきます。

そして、何と同一化しているかというところへ行き着いたならば、そこで選択をすることができます。

わたしは誰であるか?

いまこの瞬間、「わたし」と呼んでいるのは誰か?

わたしは肉体?

わたしはスピリット?

現われるどんな症状であっても、それらはただ癒しを求める心の声の反映なので、癒しが続いていくよう求めるのです。

そして、そのように求めることが設定(症状の原因となるもの)を外すことになります。

なぜなら、わたしたちみんな、すでにたくさんの奇跡的な癒しや自然治癒的な癒しについて耳にしてきているのですから。


しかし、もしあなたの心が知覚や信念でがんじがらめになっているならば、それは奇跡を受け入れる姿勢とは言えません。

奇跡を受け入れる姿勢とは、「わたしはどう癒されるのかわかりませんが、完全なるシフトとそれが形となって反映されることに心をオープンにしています」というものです。


パート3につづく


ーYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」より抜粋翻訳ー


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2017/09/20

Mystic by nature 1/3

カースティンさんのインタビューYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」の一部を日本語訳してみました。

今回の「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」の翻訳は、後半から最後にかけての部分で、病気についての質問とACIM学習者へのヒントを取り上げています。


3回に分けてアップしていきます。今日は、そのパート1です。




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インタビュアー:

あなたは本(カースティンの著書『I Married a Mystic』)の中で、もし心に痛みを信じる想念がなければ、肉体が病気になることはできないと言っていますね。コースでも、肉体が病むのではなく、心のみが病むことができると言っています。

あなたは今現在、肉体的に病気になるとか、痛みが出るとか、インフルエンザに罹るということがありますか?


カースティン:

イエスはコースの中で、病気のことを機能が果たされていない状態と説明しています。

わたしたちの機能とは、赦しであり、幸せであり、一なるものです。

わたしたちが病気になるとき、または病気と同一化しているとき、「わたしたちは分離している」「わたしたちは肉体である」と信じています。なぜなら、(わたしたちの知覚では)肉体だけが病気になるからです。

わたし自身で言えば、病気になったり、痛みの症状が出たり、インフルエンザに罹ったりした場合、一度止まって祈り、じっくり見て、次のように尋ねます。

「わたしは何を避けているのでしょうか?」

「わたしは、自分の機能の何を避けているのでしょうか?」と。


わたしが聖霊と一致していて、癒しやコミュニケーションという目的のためにわたし自身が十分に使われているならば、肉体はその機能を完璧に果たしているので、痛みもなければ、肉体自体を自覚することすらありません。

あなたはただスピリットであり、あなたはコミュニケーションの機能を果たすものであって、思考や赦しにフォーカスしていると、肉体にフォーカスがいきません。

これはちょうど、即座に肉体から思いを引き離すというようなことです。

心の中の自我の部分は、病気や症状が出た場合、即刻肉体を保護しようとします。

出来る限り早く、保護し、癒し、治療法を見つけ、元通りにしたいと思います。

なぜなら、肉体にこそ価値があり、肉体がわたしたちの家だと思っているからです。


これとは逆に、次のように言うのです。

「わたしはどういうわけか、あなた(神)を避けようとしているに違いありません。わたしの心のどこかで真実を怖れているに違いありません。わたしが思い出せるよう助けてください。何を避けているのかわかるよう手伝ってください。わたしはあなたに仕えたいのです。今わたしの心の中ですべてを赦したいのです。」

そして、そこにあるものが何なのか気づくと、驚くほどの奇跡の体験をわたしは幾度もしてきました。

それは、直ちに症状が消えるという体験です。

もしそうでなく少し長びいた場合も、もうわたしのフォーカスはそこにはないので大した問題ではなくなります。

心を復活させて目に輝きが戻るよう肉体が追い付くまで症状はしばらくあるかもしれません。

しかしその時、もう怖れたり心配したり肉体について考えたりしておらず、わたしの注意は聖霊に戻っています。


パート2につづく


ーYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」より抜粋翻訳ー


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2017/09/19

他ならぬわたしでした

プライベートセッションを通して、一緒にコース(ACIM/奇跡講座)を学んでいる方から、セッションの感想レポートをいただきました。

その感想レポートの内容が、コースを学んでいる方々にとってとても参考になるかと思いましたので、ご本人のご了承のもとにシェアさせていただきます。


赦しの実践においてわたしたちがすべきことは、心の中に闇(罪悪感)を隠しているのを明るみにして、それを聖霊に差し出していく(取り消してもらう)ことだといえます。

それなしで神のみもとに帰るということはあり得ません。心に闇を抱えたままで目覚めるということはあり得ないということです。


それは、きのうまで連載していたフランシスさんのトーク記事「Let go and forgive(解放とゆるし)」ともリンクしていると思います。

ご興味のある方は、ご覧くださいませ。


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もりG 様

昨日はセッションをありがとうございました。


昨日のセッションで出てきた、黒いもの。
煙。全てを包み込む得体の知れない闇。
これだけは触れてはいけない。
大元(根底にあるもの)。
今までとは次元の違うもの。
でもそれがわたし。
わたしの始まり。

全てはわたしが作っていたこと。
自分を監視するために、友人を配置した。
自分がずっと罪悪感を感じていられるように。
その人の目を通して。

それで今朝また思い出したことがあります。

昨日のセッションでお話したことと似ているのですが
(当時、)ある友人をわたしは結婚式に呼ばなかったのですね。正確にいうと、うっかり連絡するのを忘れたのです。
そんなことある?と自分でも思いますが、
あったのです。小さな頃のうっかりを繰り返してますね。

彼女から今度結婚するんでしょ?と言われ気づいたのですが後の祭り。そしてその時謝って招待することができませんでした。

その後も彼女とは数年に一度顔を合わせます。
彼女に嫌われてるとは思いませんが、会うたびあの時のことを思い出します、傷つけたかな、悪かったな、と。

これも自分を罪に縛り付けておくためなのかな、と思いました。

開き直るつもりはありませんが、定期的に思い出しては落ち込むので、そうゆうことなんだろうと。

こんな風にしてこの世界に自分を縛っておく。
その為に仕掛けたこと。自作自演。

他にも思い当たる(自我の)仕掛けはたくさんあります。
これらを1つ1つ赦していくのですね。
結局その人たちの目を通してわたしを見ているのは、他ならぬわたしでした。
やっぱりショックですね‥
でもそれがわかってスッキリもしています。

わたしがしてきたことは問題を解決することではなくてややこしくすることでした。

でもその時は一生懸命だったので、戦うのではなく癒して解放して浄化してあげたい。

悪役を演じてくれた人にも感謝なのですね。
(その人の) 体を貸して(役を演じて)くれた。

本人を目の前にしてそう思えるかどうかはまだわかりませんが、やることは赦しだけなのですね。

導いて力を貸してくださってありがとうございます。

昨日のセッションの後、ここから始めましょう、というメッセージに泣きました。
ありがとうございます。

自分と関わっていく人、聖霊さんが連れてきてくれる人も、今の自分に都合のいい人だけではないと、これもようやく理解しました(笑)
でも仲間も欲しいです。
心分かち合える友。
現れてくれるといいなと思います。
求めてみます。


長くなりました。
読んでくださってありがとうございます。


(新潟 女性)


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