2017/05/08

【金沢】6/23~25 もりG個人セッション&お話会のお知らせ

イベントのお知らせです。

来月、6月23日(金)、24日(土)、25日(日)にかけまして、

金沢(石川)にて、個人セッションならびにお話会が開催されることが決定いたしました。

詳細につきましては、下記の主催者さん(草開さん)のブログをご覧くださいませ。


もりG  個人セッション@金沢 2017/6/23(金)〜2017/6/25(日)

もりG  お話し会@金沢 2017/6/24(土) 13:00〜16:00

新たなるご縁にて、金沢でみなさまとお会いできるのを楽しみにしています。


新しい活動形態へと移行するにあたって、

この金沢イベントがその第一歩を踏み出すスタートとなるものとして受け止めております。

来月の金沢イベントをそのきっかけとさせていただくことに心から感謝します。


もりG


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2017/05/05

衣替え

5月の新緑が眩い季節となりました。

ゴールデンウイークも終盤に差し掛かりましたが、

みなさん、いかがお過ごしでしょうか。


5月は、衣替えの時期ですね。

このブログも、私自身も、今この時期に大きく衣替えをしています。


最近、このブログが『A Course in Miracles』(奇跡講座/奇跡のコース)の色で

ますます色濃くなってきていることにお気づきでしょうか?


それは、私自身の心境の変化とリンクしているといえます。


今現在、私がどんなスピリチュアリティでもって日々を過ごしているのかを表現するとき、

コース(奇跡講座/奇跡のコース)色を全面的に打ち出した方が、

シンプルに伝わりやすいかなと思ったいきさつがあります。

なにせ内側の世界のことしか関心がない私にとって、

このブログで書くことといえば、やっぱり内的なものになってしまうわけで、

私の向かっている方向性を示すのにそうした方がわかりやすいかなということです。


これまで私のブログを楽しみに読んでいただいていた方々の中には、

コース(奇跡講座/奇跡のコース)一色にしていくことで、

このブログから離れていく方もおられるかもしれません。

でも、それもそれだと思います。

もう、他のスピリチュアルにまったくの興味がなくなってしまったのですから仕方ありません。


コースこそが、、、コースだけが、、、といわけではないのでしょうが、

やっぱりコースでしょ、と私の中ではそう云ってる自分がいます。


私の真理探究の旅は、20代半ばの時からはじまったわけですが、

コースは、これまで触れてきたいろんな宗教、哲学、心理学、スピリチュアリズムとは

まったくちがうものであり、その旅を終わらせるものだということができます。


『A Course in Miracles』(奇跡講座/奇跡のコース)と共に、

ホーリースピリットと共に、

それによってもたらされる内なる平安と共に、

そして兄弟たちと共に、

この道を歩んでいくことだけが私がこの人生で一番したいことなのです。


これからこのブログは、そういうものになっていくと思われます。

興味のある方は、今後ともご愛読よろしくお願いいたします。


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2017/05/04

赦しの実践

じつは、正直なところを申しますと、

私は、巷のスピリチュアリズムにうんざりするところがあって、

目覚めない二元性のスピリチュアリズムや、

非二元と言いながらも目覚めようとはしない悟り系のスピリチュアリズムに対して、

これまでずっと否定的な想いを抱いていたところがありました。

とくに、スピリチュアルなリーダーやティーチャー(教師)みたいなことをしている人に対する

違和感は、私の心をイライラさせるものとして感じられずにはいられませんでした。


「幻想の中で楽しんでいるだけじゃないか」

「なぜ、わが家に帰ろうとしないのだ」


私の内側では、彼らをそんなふうに批判し、裁き、攻撃する想いを抱いていたのです。


でも、純粋非二元の視点から見るならば、

すべては神が私に学ばせようとしているレッスンだということがわかります。


All things are lessons God would have me learn.
すべてのことは、神が私に学ばせようとするレッスンだ。

ー『ACIM(奇跡講座/奇跡のコース)ワークブック レッスン192』よりー


今想えば、彼らに向けられていたそれらの想いは、

すべてこの自分自身に向けられたメッセージだったと気づきます。

彼らは、私にとっての教師でした。

むしろ、私がすべきことは、彼らをゆるそうとしない自分の内側だったのです。

そして、彼らを咎めてきたそういう想いのすべてを

ゆるしていくことが私の役割なのだと思うのです。

そこにこそ私自身の解放があり、それゆえに兄弟たちの解放があるのだと。


内なる聖霊(ホーリースピリット)は、こう告げています。


Forgive, and you will see this differently.
ゆるしなさい。そうすれば、あなたはこのことを違ったように見ることができます。


目覚めない二元性のスピリチュアルを楽しんでいる兄弟も、

目覚めようとはしない非二元のスピリチュアリティを楽しんでいる兄弟も、

それでいいんだと、そのままでいいのだといえます。

さらには、スピリチュアルにすら興味を持たずにこの現世に幸せを見出そうとしている兄弟も、

だれもがすでにそのままでそれでいいのだと、ただゆるしていくことなんだと気づくのです。


もっといえば、そういう(外側の世界で起こっている)ことはどうだっていいことなんだと。

大事なのは、自分の内側に取り組んで、ただ赦しを実践していくことなのだということです。


純粋非二元論のスピリチュアリティの道を歩む私にとってすることは、

ただそれだけなんだと思います。


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2017/05/01

ノンデュアリティ

スピリチュアルに興味がなくなったと云っている私でありますが、

スピリチュアルから無縁になったわけではありません。

日々をスピリチュアルに生きていることには変わりはないのです。


先日、たまたまノンデュアリティの方のYouTubeをふと目にしたのがきっかけで、

ちょっと思うところがあって、私は久しぶりにじっくりと観てみることにしたのでした。


ノンデュアリティのスピリチュアリティと、

コース(奇跡講座/奇跡のコース)のスピリチュアリティと、

どこがちがうのだろう?なにがちがうのだろう?

っていう想いがあったのです。


で、観てみて想ったのは、双方はやっぱり別ものだと思いました。


そのちがいをシンプルに云うならば、

夢の中で目醒める(Awake in the Dream)というものと、

夢から目醒める(Awake from the Dream)というもののちがいであると。


20代の頃から原始仏教やチベット仏教、そしてYOGAに触れてきた私にとって、

どちらも非二元のスピリチュアリティでありながら、

以前は、そのちがいがわからなかった。

むしろ、混同していたところがあった。


双方は似て非なるものだと。


今ではそのちがいがわかるからこそ、

コース以外のスピリチュアルに興味がなくなったともいえます。


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2017/04/29

放棄について

放棄すること、手放すことは、本来、歓びです。


ただし、心を伴わずして、かたちのレベルだけで放棄しようとするなら、

それはまるで失うことのように感じられることになります。


そう、この世界や、この世界のものを現実だと思いながら、

放棄する、手放すということをするならば、

それは、喪失、犠牲、虚無、苦しみとして感じられることでしょう。

それはかたちのレベルでやっても意味がないことを意味しますし、

それではかえって葛藤や苦痛を生むだけです。


放棄することや、手放していくことは、エゴにとっては怖れです。

その想いは、エゴによる錯覚(幻想)なのですが、

もし、放棄する、手放すことに対してそのような感覚を感じるのであるならば、

むしろ、その自分の内側に感じているものと向き合うべきだといえます。

そこに向き合っていくならば、そこには解放をもたらす大きなヒントが隠れています。


わたしたちは、目覚めていくプロセスにおいて、

いずれこの世界のすべてを放棄していくことになりますが、

放棄は、かたちのレベルではなく、心のレベルで行われていかなければなりません。


心のレベルで放棄がなされているなら、

かたちのレベルで放棄していくことがなんの抵抗もなくできるといえます。

むしろ、そこには歓びがあります。

より解放されていく感覚や、より自由になって身軽になっていく感覚が伴うからです。


「放棄すること、手放すこと」とは、

幻想に価値を置かないで、神を選択していることと同じことです。

またそれは、聖霊の手にゆだねていくということなのです。

ゆえに、そこには歓びがあるのです。


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